第26回定期演奏会《アマデウスとザルツブルクの教会音楽》2012.12.15 ノバホール

【演奏者】
指揮 鈴木優/ソプラノ 岩見真佐子/メッゾ・ソプラノ 米谷朋子/テノール 及川豊/バリトン 小橋琢水/コンサート・ミストレス 神戸愉樹美/オーケストラ つくば古典音楽合奏団(第1ヴァイオリン 神戸愉樹美、夏目美絵、本多洋子;第2ヴァイオリン 小林瑞葉、宮崎容子、大久保幸子;チェロ 懸田貴嗣、奥山理歌;ヴィオローネ 諸岡典経;ファゴット 鈴木禎;トランペット 中村孝志、中村肇;ティンパニ 鈴木力;オルガン 渡部聡)/合唱 つくば古典音楽合唱団


【プログラムと演奏録音】
Wolfgang Amadeus Mozart (1756-1791) ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
Inter natos mulierum, KV 72 (74f) 女より生まれた者のうち 26-01.mp3 :6.8MB

M. Haydn (1737-1806) ミヒャエル・ハイドン
Missa Sancti Gabrielis 聖ガブリエルのミサ
I. Kyrie  あわれみの賛歌(キリエ) 26-02.mp3 :2.2MB
II. Gloria  栄光の賛歌(グローリア) 26-03.mp3 :2.4MB
III. Credo  信仰宣言(クレド) 26-04.mp3 :3.6MB
IV. Sanctus  感謝の賛歌(サンクトゥス) 26-05.mp3 :1.4MB
V. Benedictus  感謝の賛歌(続き)(ベネディクトゥス) 26-06.mp3 :3.4MB
VI. Agnus Dei  平和の賛歌(アニュス・デイ) 26-07.mp3 :3.6MB

-休憩-

Leopold Mozart (1719-1787) レオポルト・モーツァルト
Beata es, Virgo Maria 幸いなるかな、おとめマリア
I. Coro  合唱 26-08.mp3 :1.2MB
II. Aria  アリア 26-09.mp3 :5.1MB
III. Alleluja  アレルヤ 26-10.mp3 :1.8MB

W. A. Mozart (1756-1791) アマデウス・モーツァルト
Vesperae solennes de confessore, KV 339 証聖者のためのヴェスペレ
I. Dixit  主は言われた 26-11.mp3 :3.8MB
II. Confitebor  私は感謝を捧げる 26-12.mp3 :5.4MB
III. Beatus vir  いかに幸いなことか 26-13.mp3 :4.7MB
IV. Laudate pueri  しもべらよ、主を賛美せよ 26-14.mp3 :4.6MB
V. Laudate Dominum  全ての国よ、主を賛美せよ 26-15.mp3 :4.3MB
VI. Magnificat  マニフィカート(マリアの賛歌) 26-16.mp3 :4.7MB


【プログラムノート】
鈴木 優

 本日はお忙しい中、つくば古典音楽合唱団第26回定期演奏会にご来場いただき、まことにありがとうございます。私たちの演奏と共に、しばしお寛ぎの時をお過ごしいただければと存じます。

 本日の演奏会は「アマデウスとザルツブルクの教会音楽」と題しまして、レオポルト・モーツァルト(Mozart, Leopold 1719‐1787)、ミヒャエル・ハイドン(Haydn, Johann Michael 1737‐1806)そしてアマデウス・モーツァルト(Mozart, Wolfgang Amadeus 1756‐1791)という3人の音楽家の教会音楽をお聴きいただきます。

 この3人の音楽家はそれぞれ20歳弱の年齢差が有りましたが、オーストリアのザルツブルクにおいて同時代に活動した音楽家です。アマデウス・モーツァルト(以下、アマデウスと記す)は西洋音楽史上における最高の天才ですが、やはり長い音楽史の文脈の中で先人たちによって培われてきた伝統的な作曲技法を消化吸収した上で独創的な創作を行なったことは自明のことです。そのアマデウスの驚異的な音楽的才能に気づき、音楽教育を施し、ヨーロッパの主要な宮廷を訪れる旅をプロデュースし同行したのは父親のレオポルト・モーツァルト(以下、レオポルトと記す)でした。また教会音楽の分野でアマデウスに影響を与えたのはザルツブルクの宮廷音楽家の同僚であり、生涯にわたって親交のあったミヒャエル・ハイドンでした。

*  *  *

 レオポルトは1719年11月14日に南ドイツのアウクスブルクに製本師の息子として生まれました。レオポルトの生家は現在もアウクスブルクに残っており「モーツァルトハウス」という記念館になっています。レオポルトはザルツブルクで哲学と法律を学びましたが20歳の時に音楽家の道を選び1743年にはザルツブルク宮廷楽団ヴァイオリン奏者、そして1763年には副楽長に昇進します。1747年にはマリーア・アンナ・ペルトゥル(Pertl, Maria Anna 1720‐1778)と結婚し7人の子供が生まれましたが、このうち成長したのは第4子のマリーア・アンナ(Mozart, Maria Anna 1751‐1829)と第7子のアマデウスの2人だけでした。姉のマリーア・アンナも鍵盤楽器の演奏に才能を発揮しました。レオポルトは当時から作曲家としてよりもヴァイオリン教師として名前が知られ1756年には《基礎ヴァイオリン教程試論》を出版しています。しかしレオポルトはアマデウスの才能が明らかになるにつれ、「息子が神の奇跡の賜物であり、その才能を伸ばすことこそ自分の責務である」と考えるようになり、自身の作曲や教師としての仕事には関心を失いました。1762年から1775年までの間、レオポルトはほとんど2人の子供と共にヨーロッパ中の宮廷を旅していました。レオポルトはあまりにもアマデウスと一心同体に生きたため、アマデウスが成長するにつれ2人の人間関係は悪化します。すなわちレオポルトはいつまでもアマデウスを自分の影響下につなぎとめようとし、逆にアマデウスには父親の束縛を離れて自由に生きたいという欲求が高まります。1781年にアマデウスはウィーンに移りますが、その後この2人が会ったのは2回だけでした。最初は1783年で、アマデウスはレオポルトの反対を押し切って結婚した新妻コンスタンツェ・ヴェーバー(Weber, Constanze 1762‐1842)をザルツブルクに連れて行きました。おそらく気まずい訪問であったでしょう。2回目は1785年の四旬節の演奏会シーズンで、この時はレオポルトがウィーンに行きアマデウスの所に滞在しました。レオポルトはこの時にアマデウスの成功を自分の目で見て、とても安心することができました。その2年後の1787年5月28日ザルツブルクでレオポルトはこの世を去ります。

 本日の演奏会の後半に演奏いたします《幸いなるかな、おとめマリア》はミサ中の奉献唱であり、冒頭の和声的な合唱曲、ソプラノ独唱によるアリア、〈アレルヤ〉のフーガという3つの部分から成っています。作曲された日付は正確にはわかりませんが1769年8月15日に演奏されたという記録が残っていることから1760年代の作曲と推定されています。編成はこの時代のザルツブルクの教会音楽の特徴であるヴィオラを欠く弦楽合奏、2本のトランペット、ティンパニ、オルガン、混声4部合唱、ソプラノ独唱です。

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 ミヒャエル・ハイドン(以下、ミヒャエルと記す)はアマデウスがいた時代のザルツブルクで、最も優れた音楽家でした。1737年9月14日、オーストリアとハンガリーの国境近くのローラウに生まれ、8歳の時に兄のヨーゼフ・ハイドン同様、ウィーンの聖シュテファン大聖堂の聖歌隊員となります。1757年にはグロースヴァルダイン(現在ルーマニアのアラデア)の司教の楽長となり、1763年にはザルツブルク大司教のもとでコンツェルトマイスターに任命されました。この時以来ミヒャエルは1806年8月10日に亡くなるまで、ずっとザルツブルクにとどまります。その後1777年には聖三位一体教会オルガニスト、1781年にアマデウスがウィーンに移る際には大聖堂オルガニストの後任者となりました。アマデウスはザルツブルク宮廷楽団の年長の同僚であるミヒャエルと親しく交流を続けました。1767年に上演された宗教的ジングシュピール《第一戒律の責務》KV 35は第一部をアマデウスが作曲し、第二部はミヒャエルが作曲しました。ミヒャエルは翌1768年に、この時の上演で「神の慈愛」役を歌ったマリーア・マクダレーナ・リップ(Lipp, Maria Magdalena 1745‐1827)と結婚します。1783年には病気のために作曲をすることができなかったミヒャエルのために、2曲のヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲をアマデウスが作曲してミヒャエルを助けるというエピソードもあります。またアマデウスが《レクイエム》KV626の作曲にあたって、ミヒャエルが1771年作曲した《レクイエム ハ短調》を参考にしたであろうことがうかがえます。

本日演奏いたします《聖ガブリエルのミサ》に関しましては、作曲年代などのデータを得ることができませんでした。カトリック教会では9月29日を三位の大天使、聖ミカエル、聖ガブリエル、聖ラファエルの祝日としています。《聖ガブリエルのミサ》は、ある年の9月29日のために作曲されたと推測されます。大天使ガブリエルはザカリアに現れ、洗礼者ヨハネの誕生を告げ(ルカ1・5‐25)、また多くの「受胎告知」と題される宗教画に描かれているように、マリアのもとに現れ、イエスの誕生とその使命について告げています(ルカ1・26‐38)。このミサ曲はミサ・ブレヴィスとよばれる、短く簡潔な形式をとっており、ミサ通常文である〈キリエ〉、〈グローリア〉、〈クレド〉、〈サンクトゥス〉、〈ベネディクトゥス〉、〈アニュス・デイ〉の6楽章で構成されています。編成はヴィオラを欠く弦楽合奏、2本のトランペット、ティンパニ、オルガン、混声4部合唱、および4名の独唱です。アマデウスのミサ曲に比べますと、やや素朴な音楽ですが、南ドイツやザルツブルクあるいはチロルのそれほど大きくない教会で実際のミサの中で演奏するとしましたら、これ以上にふさわしい音楽はないと思われます。

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 ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは1756年1月27日にザルツブルクに生まれました。アマデウスは5歳の時にすでにピアノの小品を作曲し、1762年から1772年にかけてはヨーロッパ中の宮廷で神童としてもてはやされました。長い旅は、アマデウスにとっては苦痛であったでしょう。しかし、この時期に各地で当時の最高の音楽を体験できたことは、後の創作のための貴重な財産となりました。当時のザルツブルクは、カトリック教会の大司教が領主として統治する、大司教領でした。アマデウスは当時の大司教コロレド(Colloredo, Hieronymus Joseph Franz de Paula 1732‐1812)から1772年にコンツェルトマイスター、そして1779年には宮廷オルガニストに任命されます。アマデウスは外国での仕事を望んでいましたが、コロレドは長期の休暇を与えることを渋ったので、この2人の間には対立が生じました。1773年からアマデウスは職を求めて再び旅行をしますが、ことごとく求職活動に失敗し失意のうちにザルツブルクに帰りました。コロレドとの対立は深刻なものとなり、1781年6月8日にはウィーンにおいてコロレド側近のアルコ伯爵がアマデウスの背中を蹴りつけて、館の外に追い出すという決定的な事態になってしまいました。アマデウスは活動の場をウィーンに移し1782年7 月には《後宮よりの逃走》が大好評を博し、大人気の音楽家となります。その人気は1787年のプラハでの《ドン・ジョヴァンニ》の初演でピークを迎えますが、その後その人気は下降線をたどり、残りの4年間は常に借金をし続ける必要に迫られました。経済的困窮の中アマデウスは1791年12月5日に35歳で亡くなります。葬儀は最低の等級で行われ、埋葬された墓地の正確な場所はわからなくなってしまいました。

 本日、最初に演奏いたします《女より生まれた者のうち》KV72(74 f)は従来1771年頃の作品とされていました。しかし、最近の研究ではこの曲の唯一の筆写譜が、ザルツブルクにおいて1777年から1780年頃にしか見られないタイプの紙に書かれていることが判明し、作曲年代が1770年代末と推定し直されることになりそうです。この曲は6月24日の、イエス・キリストに洗礼を与えた洗礼者聖ヨハネの祝日のために作曲されました。冒頭主題の回帰、歓喜に満ちた〈アレルヤ〉の部分に、ふとキリストの受難を想起させるフレーズを挿入する箇所など熟練した作曲技法を用いています。

 《証聖者のためのヴェスペレ》KV339は1780年に作曲されました。「証聖者」とは「歴史的には信仰のため迫害を受けたが殉教はしなかった者、あるいは高徳の生涯を送ったが殉教には至らなかった聖人の称」と説明されています。ヴェスペレはカトリックの聖務日課において日没時に行われる祈りで晩課とも呼ばれます。全曲は詩篇第110篇による〈主は言われた〉、詩篇第111篇による〈主よ、私は感謝を捧げる〉、詩篇第112篇による〈いかに幸いなことか〉、詩篇第113篇による〈しもべらよ、主を賛美せよ〉、詩篇第117篇による〈すべての国よ、主を賛美せよ〉、ルカによる福音書1・46‐55による〈マニフィカート〉の6曲から成ります。この曲集にはアマデウスの教会音楽の書法のすべてが盛り込まれています。和声的な音楽と対位法的音楽、力強さを生み出すユニゾンと繊細な転調、心をとろかす抒情的な旋律がバランス良く織り込まれ、常に活力を持って進行して行きます。編成はヴィオラを欠く弦楽合奏、2本のトランペット、ファゴット、ティンパニ、オルガン、混声4部合唱、および4名の独唱です。

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 本日は古楽器によるオーケストラと共にA=430Hzのピッチで演奏いたします。これは古典派の時代にウィーンで一般的に使われたピッチであり、現代の古楽器による古典派作品の演奏における標準のピッチです。ちなみに現代の標準ピッチA=440Hzは1939年にロンドンでの国際会議で決められたものです。

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この数年来、当合唱団の運営上の責任者であった柴谷治雄さんが9月28日に肺がんのため亡くなられました、73歳でした。温かいお人柄と音楽に対する愛で私たちを支え、合唱団をとても良い方向に導いて下さいました。是非ともステージ上にいていただきたかったこの演奏会の日に、あらためて出演者一同よりの感謝を捧げ、柴谷さんのご冥福をお祈りしたいと存じます。

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