ロゴス(Λογος):ことば。歌が詞と曲の二つから成っていることは、ロックであれ、演歌であれ、変わることはないのですが、教会音楽では、そのことばは神のみことばを意味します。 バッハは、そのみことばの意味を音で解釈して見せます。 18世紀ドイツのルター正統派の信仰の理解に基づいているとはいえ、彼の解釈を表現する音楽は、それ自身多義的な性質をもっています。 単に文字として書かれただけ、朗読されるだけのことばが直面せざるを得ない壁をも、バッハの音楽に支えられたみことばは、越えていくのです。
とは言え、バッハの音楽を演奏するのにもっともふさわしい場所が、神への祈りが日々捧げられる礼拝堂であることは、言うまでもありません。本日の企画を感謝いたします。
本日のコンサートの冒頭に演奏されるオルガン曲は、バッハのヴァイマール時代(1708-1714)の作品です。マニフィカートとは、「わが魂は主をあがめ」で始まるマリアの讃歌で、古来より多くの作曲家がこれに基づく声楽作品や、器楽作品(聖歌隊と交互に奏するためのオルガン曲など)を残しています。
このフーガは、各声部で奏される単旋聖歌(第9旋法のマニフィカート)の旋律に対位主題が絡む形で、自由に構成されています。
曲の末尾では、ペダル声部で定旋律が奏され、5声部となって終わります。
この曲は数多いバッハの音楽の中でも、特に多くの人々に親しまれています。カンタータの中のひとつの楽章としてよりも、女流ピアニスト、マイラ・ヘスによるピアノ独奏用編曲や、様々なオーケストラ編曲、最近では、なんと携帯電話の着メロとしても耳にすることがあります。
このコラールを含むカンタータ第147番「心と口と行いと生命をもって」は、本来ヴァイマール時代の 1716年に待降節のためのカンタータとして作曲したもの(BWV147a)を、バッハが聖トマス教会のカントルに就任した 1723年に、聖マリアのエリザベツ御訪問の祝日 (7月2日)用に改作したものです。本日は、ヴァイオリンによるオブリガート、ガンバとオルガンによる通奏低音と合唱という編成で演奏いたします。
バッハのケーテン時代(1717-1723、ライプツィヒの北西 50km にある城下町で宮廷楽長を務める)には、多くの室内楽や器楽曲の名曲が作曲されています。「ブランデンブルグ協奏曲」などから、当時の宮廷楽団が高い水準にあったことが伺えます。
バッハは、ヴィオラ・ダ・ガンバのために3曲のソナタを作曲します。宮廷楽団にアーベルという名手がいたこと、そしてケーテン侯レオポルドがこの楽器を愛好したことが知られています。
ソナタ第1番は、1715年頃作曲された「二本のフルートと通奏低音のためのトリオ・ソナタ ト長調」BWV1039 を 1720年頃にガンバとオブリガート・チェンバロのために編曲したものです。
本日は、鍵盤楽器のパートはポジティフ・オルガンで演奏します。また、プログラムの前半で最初の二楽章(1. Adagio 2. Allegrp ma non tanto) を、休憩後に後半の二楽章(3. Andante 4. Allegro moderato)を演奏いたします。
バッハの全創作のひとつの頂点である大作『マタイ受難曲』は、バッハ 42歳の年、1727年の聖金曜日に初演されたと推定されています。
全68曲(新バッハ全集による)、演奏に3時間以上必要な大曲の中から、本日は印象的なコラールとアリアを演奏します。当「つくば古典音楽合唱団」に於きましても、将来全曲演奏に挑戦してみたいと考えます。本日はささやかではありますが、その第一歩を踏み出すこととなります。
第3番コラール「心より愛するイエスよ」は、その直前にイエスが弟子たちに「二日の後には過越の祭りになるが、人の子は十字架につけられるために引き渡される」(マタイ 26:2)と語り、その言葉に対しての問いかけとして歌われます。
第56・57番「来たれ、甘き十字架」は、「シモンという名のクレネ人に出会ったので、イエスの十字架を無理に負わせた」(マタイ 27:32)という福音史家の言葉に続くレチタティーヴォとアリアです。アリアはヴィオラ・ダ・ガンバのオブリガートと通奏低音によって伴奏されます。ガンバによる音型は重い十字架を背負ってゴルゴダの丘に喘ぎながら向かうシモンの足取りを描いていると言われています。
第62番コラール「私がいつかこの世から去る時」は、イエスが十字架上で息を引き取った直後に歌われます。このコラールの旋律は「血潮したたる主の御頭」として知られていますが、全曲中で4回歌われます。4回目のこの場面では、音域も低く設定され、イエスの死を目の当たりにした人々の悔恨の気持ちが静かに歌われます。
バッハは、バス独唱用のカンタータを3曲(他に 56番と 82番)残していますが、この 158番は作曲された年代、用途、作詞者など多くの点が不明のままとなっています。バッハの死後 1770年の筆写譜では、このカンタータを「聖母マリアの潔めの祝日」と「復活祭第3日」用としています。テキストの内容から、明らかに第1・4曲は復活祭のためのものであり、第2・3曲に歌われる、死への憧憬やシメオン老人のエピソードは、当時の聖母マリアの潔めの祝日用として一般的なテキストでした。それらのことから、この作品はバッハが全曲を一貫して作曲したのではなく、何らかの2つの曲を組合せたのではないか、あるいは、この形がバッハ自身による最終的な完成したものではないのではないかと推測されています。
第1曲はレチタティーヴォですが、「平安、汝にあれ」という部分はアリオーソとなり、他の部分より浮き出るように作曲されています。
第2曲は、技巧的なヴァイオリンによるオブリガートとソプラノ声部によって歌われるコラール旋律を伴うアリアです。ヴァイオリンの声部は、その音域からフルートで演奏された可能性もあります。
第3曲は、前半はレチタティーヴォで、後半は第2曲アリアの後半部分のモティーフを反復するアリオーソとなります。
第4曲は四声部合唱によってルターによるコラール「キリストは死の縄目につながれしも」の第5節を歌います。このコラールはカンタータ第4番に使われているものです。
バッハ没後 250年を記念するこの演奏会のプログラムに、ちょうどバッハより 100年早くこの世に生を受けたドイツ・バロック音楽の巨匠ハインリヒ・シュッツ(1585-1672)の作品を加えることは、格別に意義の深いことであると思います。
シュッツは、若き日に当時の音楽先進国であるイタリアのヴェネツィアに留学し、そこでジョヴァンニ・ガブリエリの教えを受け、帰国後はドレスデンの宮廷礼拝堂楽長を約半世紀にわたって勤めました。
「このことばは確かに真実である」は 1648年ドレスデンで出版され、ライプツィヒ市参事会に献呈された『教会合唱曲集』に収められた6声部のモテットです。精神性の高さ、ドイツ語の朗唱とポリフォニーの見事な融合、力強い響きといったシュッツの作品の特長を十分に味わえる合唱曲です。
聖トマス教会カントルであるバッハにとって、各主日の礼拝のための教会カンタータの作曲は日常の職務上の義務でありました。それに対して、今日世俗カンタータと分類されるものは主に何らかの祝賀行事、そしてモテットは主に葬儀や追悼式といった特別の機会に依頼を受けての作曲でした。
今日、バッハのモテットとして6曲が知られています。「主に向かって新しい歌をうたえ」は、どのような機会のために作曲されたかは不明ですが、その明るく歓喜に満ちた曲想から葬儀のための音楽とは考えられません。1726年から翌年にかけて作曲されたと推定され、おそらく新年か誕生祝賀会のための曲であろうという意見が有力です。
この曲は、2つの四声部の合唱による二重合唱の編成で作曲され、極めて高度な声楽書法が用いられた、演奏もとても難しいものです。
第1・3・4部では、あふれんばかりの歓喜が歌われ、第2部では対照的にバッハの感情が直接に感じられるような内省的な音楽となっています。
ライプツィヒを訪れたモーツァルトが、このモテットを聴き非常に感動し、その場で楽譜を見せてもらったというエピソードが残っています。
Jesus bleibet meine Freude, | イエスは常にわが喜び |
Meines Herzens Trost und Saft, | わが心の慰め、わが心の活力。 |
Jesus wehret allem Leide, | イエスはすべての悲しみを防ぎたもう。 |
Er ist meines Lebens Kraft, | イエスこそわが生命の力なり、 |
Meiner Augen Lust und Sonne, | わが目の喜び、そして太陽。 |
Meiner Seele Schatz und Wonne, | わが心の宝、そして歓喜。 |
Darum lass'ich Jesum nicht | ゆえに、われイエスを心に留め |
Aus dem Herzen und Gesicht. | 目をはなすことあらじ。 |
(高野紀子訳) |
Herzliebster Jesu, was hast du verbrochen, | 心より愛するイエスよ、かくも厳しき裁きをうくるとは、 |
Daß man ein solch schart Urteil hat gesprochen? | いかなる罪を犯したまいしや。 |
Was ist die Schuld, in was für Missetaten | いかなる悪行によりて、 |
Bist du geraten? | 罰せられたもうや。 |
Ja! freilich will in uns das Fleisch und Blut | おお、もとより、われらも |
Zum Kreuz gezwungen sein; | 主にならい、肉体を十字架にかけん。 |
Je mehr es unsrer Seele gut, | われらが心、善にむかわば |
Je herber geht es ein. | 苦難はさらに厳しくなるなり。 |
Komm, süßes Kreuz, so will ich sagen, | 来たれ、甘美なる十字架よ、われ敢えて言わん。 |
Mein Jesu, gib es immer her! | わがイエスよ、そを、われに与えたまえ! |
Wird mir mein Leiden einst zu schwer, | わが苦難の重くば、 |
So hilfst du mir es selber tragen. | われを助けて担いたまえ。 |
Wenn ich einmal soll scheiden, | いつの日か、われ死なん時、 |
So scheide nicht von mir! | 主よ、われよりはなれたもうな。 |
Wenn ich den Tod soll leiden, | われ死に苦しまん時、 |
So tritt du denn herfür! | われにみ姿を見せたまえ。 |
Wenn mir am allerbängsten | わが心にいたく憂う時、 |
Wird um das Herze sein, | 汝の受けし苦悩により、 |
So reiß mich aus den Ängsten | われをば怖れより |
Kraft deiner Angst und Pein! | 救い出したまえ。 |
(皆川達夫訳) |
Der Friede sei mit dir, | 平安なんじにあれ、 |
du ängstliches Gewissen! | 汝、悩める良心よ! |
Dein Mittler stehet hier, | 汝の仲保者(なかたち)ここに立ちたもう、 |
der hat dein Schuldenbuch | 彼は汝の罪咎を記せる書と |
und des Gesetzes Fluch | 律法の呪いとを |
verglichen und zerrissen. | 帳消しにし、破り捨てたまえり。 |
Der Friede sei mit dir! | 平安なんじにあれ! |
Der Fürste dieser Welt, | この世の君は |
Der deiner Seele nachgestellt, | 汝の魂をうかがいたれど、 |
ist durch des Lammes Blut bezwungen und gefällt. | 小羊の血によりて打ち挫かれ、倒されたり。 |
Mein Herz, was bist du so betrübt, | わが心よ、汝いかなればかくうなだれるるや? |
da dich doch Gott durch Christum liebt? | 神はキリストによりて汝を愛したもう! |
Er selber spricht zu mir: | みずからわれに告げて言いたもう、 |
Der Friede sei mit dir! | 平安なんじにあれ!と。 |
Welt, ade, ich bin dein müde, | 世よ。さらば。われは汝に倦みたり。 |
Salems H_tten stehn mir an, | 天なるサレムの幕屋こそわれには慕わし。(詩篇76.2) |
Welt, ade, ich bin dein müde, | 世よ。さらば。われは汝に倦みたり。 | ich will nach dem Himmel zu, | われは天つ御国に向かわん。 |
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Wo ich Gott in Ruh und Friede | かしこにてわれは御神を安息と平安の中に |
Ewig selig schauen kann. | 永遠の幸いもて見まつるなり。 |
Da wird sein der rechte Friede | かしこには、まことの平安と、 |
Und die ewig stolze Ruh. | 永遠に崩れざる安息あるべし。 |
Da bleib ich, da hab ich Vergnügen zu wohnen, | かしこぞわが変わらざる住処、かしこぞわが楽しき住居なれ。 |
Welt, bei dir ist Krieg und Streit, | 世よ、汝にあるは戦いと争いと、 |
Nichts denn lauter Eitelkeit; | しかして虚ろなる虚栄とのみ。 |
Da prang ich gezieret mit himmlischen Kronen. | かしこにてわれは天つ冠を頂きて映え輝くべし。 |
In dem Himmel allezeit | されど天つ御国にありては、 |
Friede, Freud und Seligkeit. | 平安と喜びと幸いの絶ゆることなし。 |
Nun, Herr, regiere meinen Sinn, | さらば主よ、わが念いを統べ治め、われ、汝の御心に叶いて |
damit ich auf der Welt, | なおこの世にあらんかぎり、 |
solang es dir, mich hier zu lassen gefällt, | 平安の子とならしめたまえ、 |
ein Kind des Friedens bin, | しかして時到りなば、 |
und laß mich zu dir aus meinen Leiden | いまわれを囲める患難の中より引き出し、 |
wie Simeon in Frieden scheiden! | シメオンのごとく平安もて御もとに往かしめたまえ! |
Da bleib ich, da hab ich Vergnügen zu wohnen, | かしこぞわが変わらざる住処、かしこぞわが楽しき住居なれ。 |
da prang ich gezieret mit himmlischen Kronen. | かしこにてわれは天つ冠を頂きて映え輝くべし。 |
Hier ist das rechte Osterlamm, | ここに神の命じて定めたまいし |
Davon Gott hat geboten; | まことの過越の小羊あり。 |
Das ist hoch an des Kreuzes Stamm | これ十字架の幹高く |
In heißer Lieb gebraten. | 熱き愛の火もて焼かれし小羊なり。 |
Des Blut zeichnet unsre Tür, | その血はわれらの戸口に塗らる。 |
Das hält der Glaub dem Tode für, | 信仰この徴(しるし)をば死に向かいてかざすとき、 |
Der Würger kann uns nicht rühren. | 滅ぼす者、はやわれらを損ないえじ。 |
Alleluja! | ハレルヤ! |
(杉山好訳) |
Das ist je gewißlich wahr | これは確かに真実であり |
und ein teuer wertes Wort | そしてかけがえのない貴重なことばである。 |
daß Christus Jesus kommen ist in die Welt | キリスト・イエスがこの世にお生まれになった、 |
die Sünder selig zu machen | 罪びとたちを浄めるために。 |
unter welchen ich der fürnehmste bin. | 私はその罪びとたちの中でも、もっとも重い者である。 |
Aber darum ist mir Barmherzigkeit widerfahren | しかし、それに対して、私には慈悲が与えられた、 |
auf daß an mir fürnehmlich Jesus Christus | イエス・キリストが、私に特別に |
erzeigete alle Geduld | あらゆる寛容を示してくださるという形で、 |
zum exempel denen | 永遠の生命のために、キリストを信ずべき人々にとっての |
die an ihn glauben sollen zum ewigen Leben. | 模範とするために。 |
Gott dem ewigen Könige | 神、永遠の王、 |
dem Unvergänglichen | 不滅なる者、 |
und Unsichtbaren und allein Weisen | そして不可視なる者にして、純粋なる本質である者に、 |
sei Ehre und Preis in Ewigkeit. | 栄光と、賛美とが、永遠にあるように。 |
Amen. | アーメン。 |
(1. Tim. 1 15-17) | (テモテへの手紙一、1:15-17) |
(つくば古典音楽合唱団訳) |
Singet dem Herrn ein neues Lied; | 主に向かって新しい歌をうたえ。 |
Die Gemeine der Heiligen sollen ihn loben. | 聖なる人々の集団は、主を称えるべし。 |
Israel freue sich des, der ihn gemacht hat; | イスラエルびとは、彼らを創りたまいし方のことを喜び |
die Kinder Zion sei'n fröhlich über ihrem Könige. | シオンの子達は、彼らの王に歓喜せよ。 |
Sie sollen loben seinen Namen im Reihen; | 彼らは輪になって主の名を称えるべし; |
mit Pauken und mit Harfen sollen sie ihm spielen. | 彼らは太鼓と竪琴によって主に音楽を奏すべし。 |
(Psalm 149:1-3) | (詩篇 149:1-3) |
Wie sich ein Vater erbarmet | あたかも父親が、 |
über seine jungen Kinderlein, | 彼の小さな子供を慈しむように、 |
so tut der Herr uns allen, | そのように主は私たちみなを慈しんで下さる。 |
so wir ihn kindlich fürchten rein. | そうして、私たちは主を子供のようにひたすら畏れる。 |
Er kennt das arme Gemächte, | 主は、弱い被造物のことをわかっておられる。 |
Gott weiß, wir sind nur Staub, | 神は、われわれが塵に過ぎないことを知っておられる。 |
gleich wie das Gras vom Rechen, | 熊手でかき集められた草のような存在であることを。 |
Ein Blum und fallend Laub! | はかない花や、落ち葉のような存在であることを。 |
Der Wind nur drüber wehet, | 風がその上を吹くだけで、 |
so ist es nicht mehr da. | それは、もはやそこにはない。 |
Also der Mensch vergehet, | そのようにして、人は消えてゆくのだ。 |
sein End, das ist ihm nah. | 死は、人間にとって遠い先のことではない。 |
(Johann Gramann [1530]) | |
Gott, nimm dich ferner unser an; | 神よ、私たちをいつまでも受け入れて下さい。 |
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denn ohne dich ist nichts getan | なぜならば、あなたなしでは、何も実現されないのだから、 |
mit allen unsern Sachen: | 私たちの事柄のすべては。 |
Drum sei du unser Schirm und Licht, | それゆえ、あなたは私たちの傘となり、光となって下さい、 |
und trügt uns unsre Hoffnung nicht, | そして、私たちの希望を欺かないで下さい。 |
so wirst du's ferner machen. | あなたは,いつまでも、そうなさって下さるでしょう。 |
Wohl dem, der sich nur steif und fest | 頑ななまでに堅固に |
auf dich und deine Huld verläßt. | あなたとあなたの恩寵を信じるものは幸いです。 |
Lobet den Herrn in seinen Taten, | 主の御業を称えよう。 |
lobet ihn in seiner gro_en Herrlichkeit! | 主の偉大なる栄光を称えよう! |
(Psalm 150:2) | (詩篇 150:2) |
Alles, was Odem hat, lobe den Herrn! | いきとし生けるものは、あまねく、主を称えよ! |
Halleluja! | ハレルヤ! |
(Psalm 150:6) | (詩篇 150:6) |
(つくば古典音楽合唱団訳) |
東京芸術大学声楽科卒業。東京混声合唱団に2年間在団。吉岡厳、橋本周子、山田実の各氏に声楽を師事。1991年夏、フィラデルフィアにおいて「声楽教師のための国際会議」に参加。1992年8月より2年半にわたりドイツに遊学。アウグスブルクにおいて「ドイツ歌唱学校教師と合唱指揮のためのセミナー」を受講。引き続きリゼロッテ・ベッカー=エグナール女史、イエニー・コマール女史の下で声楽の研鑽を積む。当地で「歌曲の夕べ」を催すほか、教会などで多数の演奏を行う。滞独中にヴァルター・ベリー、クルト・ヴィドマー、ミヒアエル・ショッパー、シャルロッテ・レーマン、リチャード・ミラー、アレクサンダー・ヴァーグナの各氏の声楽および合唱指揮のマイスター・コースに参加。日本声楽発声学会会員。
武蔵野音楽大学オルガン科卒業。オルガンを廣野嗣雄、秋元道雄、志村拓生の各氏に、バロックアンサンブルを千成千徳氏に師事。種々の古楽器アンサンブルやソリスト、合唱団と協演。主に通奏低音奏者として活躍中。特に17世紀音楽に関する研究を続けている。近年は濱田芳道、J. U. モルテンセン、L. ギエルミの各氏に指導を受ける。日本オルガン研究会会員。日本オルガニスト協会会員。
フェリス女学院短期大学音楽科卒業。バーゼル音楽院古楽科卒業。ハーグ王立音楽院留学。ヴァイオリンを鷲見健彰、故久保田良作の各氏に、ヴィオラ・ダ・ガンバを大橋敏成、HL.ミュラー、W.クイケンの各氏に、バロック・ヴァイオリンを S.クイケン氏に師事。1976年帰国。NHK、NTV などの番組や、録音、リサイタルに出演して古楽奏者として活躍。元日本ヴィオラ・ダ・ガンバ協会会長。神戸愉樹美ヴィオラ・ダ・ガンバ合奏団主宰。1998年よりつくば古典音楽合唱団付合奏団のコンサート・ミストレスをつとめる。現在、国立音楽大学講師。フェリス女学院大学音楽学部講師。訳書:ジャン・ルソー著『ヴイオル概論』(関根敏子と共訳、アカデミア・ミュージック社刊)。論文:「キリシタン史料における擦弦楽器」(皆川達夫先生古稀記念論文集『音楽の宇宙』音楽之友社刊)。録音:Vienna Modern Masters "Echo From Bronze Bells" CD 2029,他
桐朋女子高等学校音楽科、同大学卒業。恵藤久美子氏に師事。また、在学 中よりバロック音楽への興味からバロックバイオリンを若松夏美氏に師事する。 バッハコレギウムジャパンの「マタイ受難曲」コンサート、レコーディングに 参加。オーケストラ「シンポシオン」、アンサンブル「ア・ラ・モーダ」、 「トリフォニーバロックアンサンブル」各メンバー。
1988年4月、鈴木優氏を音楽監督として発足した合唱団で、現在約70名の団員で活動している。16世紀から現在までの西洋の宗教曲を基本的なレパートリーとし、発声・発語・アンサンブルと共に、それぞれの音楽の様式観を大切にして練習している。
日曜日午前10時半からの礼拝で、「託児サービス」(たんぽぽ)を月1回行っています。礼拝中、就学前のお子さんをあずかり、託児します。親御さん方は礼拝に集中できますので、ご活用ください。