第20回定期演奏会《バッハ至高のミサ曲》2006.12.9

<演奏者>
指揮 鈴木優 / ソプラノ 木島千夏 / アルト 佐久間和子 / テノール 及川豊 / バス 山崎岩男 / コンサート・ミストレス 神戸愉樹美 / オーケストラ つくば古典音楽合奏団 (第1ヴァイオリン 神戸愉樹美,夏目美絵,丹沢広樹 ; 第2ヴァイオリン 高橋真二,影山優子,天野寿彦 ; ヴィオラ 上田美佐子,David Schicketanz ; チェロ 高橋弘治,高群輝夫 ; コントラバス 井上陽 ; フルート 朝倉未来良,木下恵子 ; オーボエ、オーボエ・ダモーレ 江崎浩司,森綾香 ; ファゴット 永谷陽子,鈴木禎 ; トランペット 島田俊雄,織田祐亮,狩野藍美 ; ホルン 慶野未来 ; ティンパニー 松下真也 ; オルガン 渡部聡) / 合唱 つくば古典音楽合唱団


<プログラムと演奏録音>

J.S.Bach バッハ
Messe in h-moll, BWV232 ミサ曲ロ短調
KYRIE あわれみの賛歌
1. Kyrie eleison  主よ、あわれみたまえ 20a01.mp3 9:12
2. Christe eleison  キリストよ、あわれみたまえ 20a02.mp3 5:40
3. Kyrie eleison  主よ、あわれみたまえ 20a03.mp3 3:38
GLORIA 栄光の賛歌
4. Gloria in excelsis  いと高きところには神に栄光 20a04.mp3 6:34
5. Et in terra pax  地には平和
6. Laudamus te  我ら主を誉め 20a05.mp3 4:30
7. Gratias agimus tibi  我ら主に感謝 20a06.mp3 2:52
8. Domine Deus  神なる主よ 20a07.mp3 8:41
9. Qui tollis peccata mundi  この世の罪を取り除きたもう方よ
10. Qui sedes ad dexteram Patris  御父の右に座りたもう方よ 20a08.mp3 4:20
11. Quoniam to solus sanctus  主のみ聖なり 20a09.mp3 8:44
12. Cum Sancto Spiritu  聖霊とともに
-休憩-
SYMBOLUM NICENUM(CREDO) ニケア信経(信仰宣言)
1. Credo in unum Deum  私は唯一の神を信じる 20b01.mp3 4:09
2. Patrem omnipotentem  私は全能の父を信じる
3. Et in unum Dominum  私は唯一の主を信じる 20b02.mp3 4:39
4. Et incarnatus est  主は御からだを受け 20b03.mp3 2:36
5. Crucifixus  主は十字架につけられ 20b04.mp3 2:48
6. Et ressurexit  主はよみがえられ 20b05.mp3 4:17
7. Et in spiritum sanctum  私は主なる聖霊を信じる 20b06.mp3 5:19
8. Confiteor  主は洗礼を認める 20b07.mp3 6:59
9. Et expecto  私は待ち望む
SANCTUS 感謝の賛歌より
Santcus  聖なるかな 20b08.mp3 5:25
OSANNA-DONA NOBIS PACEM 感謝の賛歌より、平和の賛歌
1. Osanna  いと高きところにオザンナ 20b09.mp3 2:59
2. Benedictus  ほむべきかな 20b10.mp3 4:36
3. Osanna  いと高きところにオザンナ 20b11.mp3 3:09
4. Agnus Dei  神の子羊 20b12.mp3 5:20
5. Dona nobis pacem  我らに平和を与えたまえ 20b13.mp3 2:43
Encore : Dona nobis pacem 20b14.mp3 2:44

<プログラムノート> 鈴木優

つくば古典音楽合唱団は本日ここに、20回目の演奏会を迎えることができました。日頃、私達の活動を支えてくださる多くの方々のご助力無しには、当合唱団もここまで成長することはできなかったでしょう。また音楽を愛する多くの団員の献身的な参加が、私達の音楽の力をゆっくりと向上させてきました。

1988年の創立以来の私達の活動がこの記念すべき演奏会に結実したことを喜ぶと共に、私達の活動を温かく見守ってくださった多くの方々に、心からの感謝を捧げたいと思います。

*  *  *

私達はこれまでの19回に及ぶ演奏会でルネサンスやバロックの作品から、ヘンデルの「メサイア」、モーツァルトの「レクイエム」「ハ短調ミサ曲」、フォーレの「レクイエム」といった多くのすばらしい合唱曲を演奏してきました。

そんな私達にとって、バッハの大規模な作品を演奏することは、ひとつの大きな夢であり、また目標でした。しかし膨大な情報量を湛えるバッハの楽譜を満足のいく形で音として響かせるためには、周到な準備と充分な練習量が必要です。

そこで私達は本日の演奏会のために、2年がかりで「ミサ曲ロ短調」を準備する計画を立てました。昨年の第19回演奏会で、全曲の約1/3を演奏いたしました。そして、ようやく今回全曲演奏にこぎつけました。

この難曲に対しては、どれだけ練習を重ねたとしても十分とは言えませんが、とりあえず現時点での私達のバッハをお聴きください。

*  *  *

ヨハン・セバスティアン・バッハは1685年3月21日に中部ドイツの小都市アイゼナッハに生まれます。

バッハの一族は中部ドイツでは有名な音楽家の家系で、オルガニスト、カントール、町楽師といった職業音楽家を多く輩出しています。ヨハン・セバスティアンの父、アンブロンウスも町楽師でした。

バッハは15才の年に北ドイツのリューネブルクの聖歌隊員となり、寄宿学校で学ぶことも許されます。学業の後、1703年にアルンシュタット、1707年にはミュールハウゼンのオルガニストになります。バッハの最も初期のカンタータ「キリストは死の縄目につながれたり」や「神の時は最上の時なり」はこの時期の作品です。またこの間、1705年10月より北ドイツのリューベックに滞在し、ブクステフーデのオルガン演奏や教会音楽の演奏を聴き、大きな影響を受けました。

そして1708~17年にはヴァイマールで宮廷オルガニスト、そして楽師長を務めます。この時期にも多くのカンタータが作曲されていますが「泣き、嘆き、憂い、怯え(BWV12)」は後にミサ曲ロ短調の「主は十字架につけられ」に改作されます。

その後1717~23年は、ライプツィヒ北西50kmにある城下町ケーテンの宮廷楽長となります。ケーテンの領主レオポルト公は音楽を好み、バッハも幸福な日々を送ることができました。ケーテンの宮廷楽団は名手が揃い、水準の高いものでした。この時期のバッハは「ブランデンブルク協奏曲」を始めとし、数多くの器楽曲の名曲を作曲しました。しかし、この幸福な日々もレオポルト公の2度目の后妃が音楽嫌いであったために終止符が打たれます。

バッハは新しい就職先を探すこととなりましたが、1723年にクーナウの後任としてトマス教会カントール兼ライプツィヒ市音楽監督に就任します。バッハは市内の4つの主要教会のために作曲をし、それを練習して演奏した上に、教会付属学校の教師としての職務もこなすといった多忙な日々を送ります。毎週日曜日の礼拝、そしていくつかの祝日のためのものを加えると年間約60曲のカンタータが必要ですが、バッハは最初の1年間になんと約50曲の新作を演奏しています。

その後も晩年に至るまで創作の意欲はとどまることがありませんでした。1747年にはフリードリヒ大王の提示した主題による「音楽の捧げ物」、そして1749年にかけて「ミサ曲ロ短調」、「フーガの技法」といった自らの創作の集大成的な作品がまとめられます。

バッハは晩年白内障を患い、1750年3月に手術を受けます。この手術は失敗に終わり、以後バッハは完全に視力を失い病床に暮らすことになります。7月18日に一時的に視力が回復しますが、直後に卒中が起こり高熱が出ます。その10日後7月28日にバッハは65年の生涯を閉じました。「故人略伝」(息子エマーヌエルによるバッハの年代記)には「バッハは救い主の功徳を願いつつ平穏かつ浄福に世を去った」と記されています。

*  *  *

「ミサ曲ロ短調」はいくつか不可解な点のある音楽です。そもそもルター派の教会音楽家であるバッハが、なぜカトリックの教会音楽として一般的なミサ通常文のセットを作曲したのか。

はたしてバッハの生前このミサ曲は実際に演奏されたのだろうか。

こういった謎に答える意味で、現在までに解明された、この大曲の成立事情をここにまとめておきます。

「ミサ曲ロ短調」の自筆総譜(東ベルリン国立図書館所蔵)によると、この曲は第1部「ミサ(Missa)」として「キリエ(Kyrie)」と「グロリア(Gloria)」、第2部は「クレド(Credo)」にあたる「ニケア信経」、第3部は「サンクトゥス(Sanctus)」のみ、そして第4部として本来「サンクトゥス」の後半部分である「オザンナ(Osanna)」と「ベネディクトゥス(Benedictus)」「アニュス・デイ(Agnus Dei)」「ドナ・ノービス・パーチェム(Dona nobis pacem)」がひとまとめにされています。カトリックの一般的なミサ曲では「キリエ」「グロリア」「クレド」「サンクトゥス」「アニュス・デイ」という5つの部分にするのが普通です。「ミサ曲ロ短調」のこの例外的な構成から、この特異な曲の成立事情をうかがうことができます。

まず第1部の「ミサ」の部分は1733年にドレスデンのザクセン選帝侯フリードリヒ・アウグスト2世に献呈され、そのパート譜のセットが献上されました。当時のバッハはライプツィヒ市参事会と様々な面で対立があり、減俸処分すら受けています。そこでバッハはこの「ミサ曲」を献呈することによりドレスデンの宮廷作曲家の称号を手に入れ、自分の立場を好転させようとしました。

このような事情で第1部が作曲されましたが、そのまま引き続き第2部以降が作曲されたわけではありませんでした。バッハの作品の作曲年代は、使われた五線紙のすかし紋様と筆跡を鑑定することによって推定されますが、第2部と第4部が作曲されたのは最晩年の1748年秋から49年夏にかけてと考えられています。そして第3部はすでに1724年にクリスマス礼拝で演奏された単独の「サンクトゥス」をそのまま用いています。

このように「ミサ曲ロ短調」は最初から一貫したプランで作曲されたのではなく、視力も衰え、余命がもうそれほど長くないことを自覚したバッハの自発的意思によってまとめられた曲集であると言えるでしょう。

どのような動機に基いてバッハが「ミサ曲ロ短調」を完成させたのかを私達は知ることはできません。第3部「サンクトゥス」以外はバッハの生前に演奏された確証はありません。第2部と第4部には演奏に必要なパート譜が一切残されていません。献呈された第1部にも演奏された記録は何も残っていません。そもそも演奏に2時間近くかかるこの大曲が、実際の礼拝の枠に収まるはずもありません。

最晩年のバッハが自分の音楽家としての人生の集大成として未来の聴衆のために教会音楽の規範を示そうとしたのでしょうか。プロテスタントの教会音楽家であるバッハが、カトリックのミサ曲を書き残すことによって宗派を超えて神に捧げ物をしようとしたのでしょうか。いずれにせよバッハの死後250年経った今日、私達がこの偉大な音楽作品に親しみ、また享受することができることは何と幸福なことでしょう。

*  *  *

私達の演奏会ではオーケストラはいつも神戸愉樹美さんにコンサート・ミストレスを務めていただいておりますが、今回は古楽器によるオーケストラを編成していただきました。そのため基準ピッチはA = 415 Hzで演奏いたします。これは現代の標準ピッチA = 440 Hzに比べて半音低く響くことになります。

*  *  *

バッハのようなポリフォニーの要素の強い音楽を演奏するには各声部の自律性が非常に重要ですが、同時に垂直方向のハーモニーとバランスも同様に重要です。これを実現するには音程の純度が必要です。そしてバッハのような複雑な音楽では音程のよりどころとして適切な音律を選び、その音程を基準として音楽をつくっていくことが、必要不可欠なことであると思います。

試行錯誤の結果、私達は一昨年以来、平均律で調律されたピアノではなく、様々な古典調律ができるキーボードを日頃の練習から使っています。前々回の演奏会では16~17世紀に一般的であったミーン・トーン音律でモンテヴェルディを演奏してみました。

本日の「ミサ曲ロ短調」におきましては、18世紀中頃に発表されたヴァロッティという音律で演奏してみます。私達の作り出す響きが、他の合唱団と違っているとしたら、このような点にも考慮していることもその一因であると言えましょう。

以上述べたような演奏上の選択は、バッハの時代の演奏様式の再現といった観点ではなく、いかにして今日私達がより美しいバッハを演奏するかというアプローチの方法としてなされた事であるということを、ここに付け加えておきます。


【歌詞対訳】

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