第30回定期演奏会《シューベルト 最後の年のミサ曲》2016.11.26

<演奏者>
揮揮 鈴木優/ソプラノ 和泉純子/メッゾ・ソプラノ 米谷朋子/第1テノール 谷川佳幸/第2テノール 栗原剛/バリトン 米谷毅彦/コンサート・ミストレス 神戸愉樹美/オーケストラ つくば古典音楽合奏団(第1ヴァイオリン 神戸愉樹美 丸山韶  宮崎桃子  吉田爽子; 第2ヴァイオリン 天野寿彦 宮崎蓉子 中西美絵  影山優子; ヴィオラ 深沢美奈 中島由布良; チェロ 高群輝夫 小林奈那子; コントラバス 井上陽; オーボエ 尾崎温子、平地友佳; クラリネット 坂本徹、戸田竜太郎; ファゴット 鈴木禎、長谷川太郎; ホルン 大貫ひろし 間宮淳; トランペット 中村孝志、中村肇; トロンボーン 武田美生、生稲加奈代、生稲雅威; ティンパニ 鈴木力; オルガン 渡部聡)/合唱 つくば古典音楽合唱団


<プログラムと演奏録音>

Franz Schubert (1797-1828) フランツ・シューベルト
Deutsche Messe, D 872 ドイツ・ミサ曲 D 872
Ⅰ. Zum Eingang  入祭唱(序唱) 30-01.mp3 2:06
Ⅱ. Zum Gloria  栄光の歌 30-02.mp3 2:26
Ⅲ. Zum Evangelium und Credo  福音書と信仰告白 30-03.mp3 2:39
Zum Offertorium  奉献 30-04.mp3 1:30
Ⅴ. Zum Sanctus  サンクトゥス(聖なるかな) 30-05.mp3 2:35
Ⅵ. Nach der Wandlung  聖変化の後で 30-06.mp3 2:46
Ⅶ. Das Gebet des Herrn  主の祈り 30-07.mp3 2:45
Ⅷ. Zum Agnus Dei  神の小羊 30-08.mp3 2:20
Ⅸ. Schluss gesang  終祭の歌 30-09.mp3 1:47
-休憩-
Franz Schubert (1797-1828) フランツ・シューベルト
Messe Es-dur, D 950 ミサ曲第6番 D 950
Ⅰ. Kyrie  あわれみの賛歌(キリエ) 30-10.mp3 6:54
Ⅱ. Gloria  栄光の賛歌(グローリア) 30-11.mp3 14:13
Ⅲ. Credo  信仰宣言(クレド) 30-12.mp3 16:40
Ⅳ. Sanctus  感謝の賛歌(サンクトゥス) 30-13.mp3 3:54
Ⅴ. Benedictus  感謝の賛歌(続き)(ベネディクトゥス) 30-14.mp3 6:56
Ⅵ. Agnus Dei  平和の賛歌(アニュス・デイ) 30-15.mp3 9:18
ごあいさつ 30-16.mp3 3:49
Encore: Ferdinand Schubert (1974-1859), op9 Requiem Introitus-Kyrie 30-17.mp3 4:08

<プログラムノート> 鈴木優

本日は、つくば古典音楽合唱団第30回定期演奏会にご来場いただき、ありがとうございます。思えば当合唱団の第1回演奏会は28年前の1988年11月30日の事でした。出演した合唱団員は23名で、188名のお客様が私たちのパレストリーナや、シュッツからバッハに至るプログラムを聴いて下さいました。会場はノバホールのホワイエでした。当時、この1,000人収容のノバホールは私たちには大きすぎる会場に思えました。そして一つの大きな節目といえる今年の第30回定期演奏会において合唱団員も70名を数えるまでとなり、優れたオーケストラのメンバーおよび声楽ソリストにご共演いただき、さらには三菱UFJ信託地域文化財団よりのサポートをいただいた上で、このような大曲に取り組めるということはこの上ない幸福であると感じます。当合唱団がここまで成長できた最大の要因は、すでに故人となられた方も含めて合唱団に参加された方々の私心なく音楽を愛する心、そして聴衆として温かく私たちの活動を支えてくださった皆様のお気持ちの賜物であると考えます。どうぞ、これからしばしの間、合唱と管弦楽そして声楽ソリストによる楽興の時をお楽しみ下さい。

本日の演奏会ではフランツ・シューベルト(Schubert, Franz Peter 1797 – 1828)の31年という短い人生の最晩年の教会音楽をお聴きいただきます。

シューベルトは数多くの天上的でありながら身近で、言葉に表すことのできない「なつかしさ」を感じさせる音楽を残しました。シャガール(Chagall, Marc 1887 – 1985)は《魔笛》の舞台美術を担当した際に「モーツァルトは天才です、しかしシューベルトは奇跡です」と語りました。またシューマン(Schumann, Robert Alexander 1810 – 1856)はハ長調の交響曲を「この交響曲はただの美しい歌だとか、今までに音楽が何百回となく現わしてきた、ありふれた喜怒哀楽を超えるものが秘められていて、聴く人をある世界に誘ってゆく。今までに行ったことがあるとは、どうしても思い出せないような国へ」と論評しています。一方シューベルトはベートーヴェン(Beethoven、Ludwig van 1770 – 1827)に対して大きな尊敬の念を抱いており、友人に「ベートーヴェンの後でまだいったい誰に、何らかの人物になることができるだろう」と語りました。また、その控えめな性格からベートーヴェンに声をかけることができず、直接に会ったのは最後の年に病床を見舞った時だけでした。しかしベートーヴェンはシューベルトの才能を認めており、病床で「本当に、シューベルトには神の火花が宿っている」と語りました。

シューベルトは1797年1月31日にウィーンの郊外ヒンメルプフォルトグルントに生まれました。父は教師であり、学校経営者でした。シューベルトの最初の音楽教育は父と兄によって行われましたが、すぐに手に負えなくなり教区オルガニストのホルツァー(Holzer, Michael 1772 – 1826)にゆだねられました。ホルツァーは幼いシューベルトの才能に驚き「私が何か新しいことを教えようとすると、彼はもうそれを知っています」と語っています。シューベルトは1808年、11歳の年に宮廷礼拝堂聖歌隊のソプラノ歌手として「コンヴィクト」と呼ばれる寄宿制学校に入学します。ここでシューベルトはサリエリ(Salieri, Antonio 1750 – 1825)による作曲のレッスンをはじめとして音楽の専門的な教育を受けます。そしてこの時代に多くの友人たちを得ました。変声期を迎えたシューベルトは1813年に寄宿制学校を退学し、父の学校を手伝いながら作曲をするという生活をします。その後の3年余りはシューベルトの創作の最初の頂点でした。1814年10月19日に作曲された《糸を紡ぐグレートヒェン》はそれまでのドイツ歌曲の概念を一変させました。シューベルトはこの3年間で歌曲だけで約300曲を作曲しました。これは生涯において作曲した歌曲の半分に当たります。この時期にシューベルトの友人たちはシューベルトの歌曲の出版を画策し、後ろ盾となってもらうためにゲーテ(Goethe, Wolfgang von 1749 – 1832)に楽譜を送りましたが、何のコメントもなくその楽譜は返送されました。シューベルトには音楽の世界につながる有力なコネクションがありませんでした。《魔王》がop.1として出版されたのは1821年でした。それも最初は自費出版でした。1822年12月にシューベルトは梅毒を発症します。当時は治療法もなく、重い病気でした。その中でもシューベルトは作曲を続けます。《美しき水車小屋の娘》は1823年の入院中の作品です。この頃からシューベルトの歌曲の出版点数は増え、演奏の機会も多くなります。しかし経済的には困窮し、宮廷や劇場に職を求めましたが、成果はありませんでした。健康状態は一進一退でしたが、創作力の衰えはありませんでした。後期の創作様式として無駄なものが削ぎ落とされ、内的な表現がますます深まっていく方向に音楽が向かい、その頂点が1827年の《冬の旅》です。1828年3月26日には生涯でただ1度の自作曲よる演奏会を開き成功を収めます。しかし10月31日に体調を崩し11月14日には病床から離れられなくなります。医師は腸チフスの診断を下します。病床にあっても《冬の旅》の校正作業をしていましたが11月19日に最期の時を迎えました。《白鳥の歌》など多くの作品がシューベルトの死後に出版され、その名声が高まりました。

《ドイツ・ミサ曲 D872》はシューベルトの死の前年、《冬の旅》の年である1827年の作品です。不完全な第一稿の写稿譜には、兄フェルディナント・シューベルト(Schubert, Ferdinand 1794 – 1859)の手により《ミサの奉献聖祭用の歌、付録として主の祈り付き》と表題が書かれています。そして第二稿が1870年にはじめて出版されたときに《ドイツ・ミサ曲、付録として主の祈り》という題名が付けられました。この曲のドイツ語のテキストは工科大学物理学教授ヨハン・フィリップ・ノイマン(Neumann, Johann Philipp 1774 – 1849)によって書かれました。ノイマンは皇帝ヨーゼフ二世(Joseph II, 1741 – 1790)の啓蒙主義と教会音楽平明化運動の信奉者であり、教会音楽を一般市民に親しみやすいもにしようとする運動を推進していました。シューベルトはノイマンの依頼により作曲し、100グルデンの謝礼を受け取りました。ウィーン宗教局はこのような曲を教会で演奏することは許可しませんでしたが、他の場所での演奏や出版は許可しました。全曲は付録である〈主の祈り〉を含めて9曲から成ります。それぞれの曲はカトリックのミサの式次第に対応しており、有節のリート形式で作られています。本日は13本の管楽器、ティンパニ、コントラバス、オルガンという編成の第二稿を演奏いたします。また、付録として曲集の最後に付けられた〈主の祈り〉を本来のミサの中の位置である第6曲〈聖変化の後で〉の次に演奏いたします。

《ミサ曲第6番 変ホ長調 D950》はシューベルトの最後の年である1828年6月に作曲が始められ、おそらく夏の間に完成したとされています。この曲の作曲の動機は不明ですが、シューベルト研究の第一人者であるドイチュ(Deutsh, Otto Erich 1883 – 1967)は、ウィーンのアルザーグルントの三位一体教会のために作曲したと推定しています。初演は、この教会でシューベルトの死後1829年10月4日に行われています。その際の指揮者は兄のフェルディナントであったという説と、シューベルトの同門であったライターマイヤー(Leitermayer, Michael 1799 – 1867)であったという説があります。楽譜の出版は1865年の事でした。このミサ曲の特徴は外形的には伝統的なミサ曲の形態を遵守しているにもかかわらず、内容は従来のミサ曲の定型よりもシューベルト自身の心のありようが音楽に強く反映しているという点にあります。一般にミサ曲において、キリエは敬虔な祈り、グロリアは神の栄光を讃える輝かしい音楽、クレドはキリスト教徒のアイデンティティーを表明する堅固な音楽、サンクトゥスは天地に鳴り響く壮大な音楽、ベネディクトゥスは平安で抒情的な音楽、アニュス・デイはキリストの受難を想起させる峻厳な音楽、そしてドナ・ノービスでは天国で天使が舞い遊ぶかのような音楽というように作曲されます。しかしこのミサ曲ではシューベルトの中にある、一方では強く救いを求める心と、一方では信仰上の疑いといったアンビバレンスな感情が繰り返し現れます。シューベルトは時に光が見えたり、一時的な平安を見出すのですが、突然の転調や不協和音によって厳しい現実の世界に引き戻されてしまっているかのようです。またテキストに対してのシューベルトの関心のありようにも差があります。一例をあげればキリストの受難を歌う個所では熱狂的な作曲がされていますが、キリストの復活の場面ではやや冷淡な音楽付けがされています。このように、この曲はミサ曲の歴史の中で特別にユニークな作品であり、作曲後188年が経ちますが、いまだに十分な理解がされていない問題作であると思われます。

本日は古楽器によるオーケストラと共にA=430Hzのピッチで演奏いたします


【歌詞対訳】

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