第34回定期演奏会《初期から盛期へ、ドイツ・バロック音楽の系譜》 2021.11.6

<演奏者>
揮揮 鈴木優/ソプラノ 大川晴加/アルト 紙谷弘子/テノール 谷川佳幸/バリトン 室岡大輝/コンサート・ミストレス 神戸愉樹美/オーケストラ つくば古典音楽合奏団(ヴァイオリン 神戸愉樹美 渡邊慶子; ヴィオラ 深沢美奈 小林瑞葉; チェロ 野津真亮; コントラバス 井上陽; リコーダー 大竹尚之; オルガン 渡部聡)/合唱 つくば古典音楽合唱団


<プログラムと演奏録音>

Jan Pieterszoon Sweelinck (1562-1621) スヴェーリンク
Toccata in g SwWV293 トッカータ ト調 34-01.mp3 3:11
Heinrich Schütz (1585-1672) シュッツ
Cantiones Sacrae カンツィオーネス・サクレ より
O bone, o dolcis, o benigne Jesu, SWV53 おお、善き、優しき、慈しみにあふれたイエスよ 34-02.mp3 3:34
Et ne despicias humiliter te petentem, SWV54 そして軽蔑なさらないでください 34-03.mp3 2:41
Jan Pieterszoon Sweelinck (1562-1621) スヴェーリンク
Toccata in C SwWV284 トッカータ ハ調 34-04.mp3 2:08
Heinrich Schütz (1585-1672) シュッツ
Cantiones Sacrae カンツィオーネス・サクレ より
Cantate Domino canticum novum, SWV81 主に向かって新しき歌を歌え 34-05.mp3 3:51
Dietrich Buxtehude (1637-1707) ブクステフーデ
Kantate: Alles, was ihr tut, mit Worten oder mit Werken, BuxWV4 カンタータ: 汝らが言葉や行いで示すすべてを
1. Sonata ソナタ 34-06.mp3 1:35
2. Concerto コンチェルト 34-07.mp3 1:45
3. Sonata ソナタ 34-08.mp3 1:37
4. Aria アリア 34-09.mp3 2:39
5. Arioso (Basso) , Choral アリオーゾ、コラール 34-10.mp3 4:54
6. Sonata ソナタ 34-11.mp3 0:57
7. Concerto コンチェルト 34-12.mp3 1:21
-休憩-
Johann Sebastian Bach (1685-1750) バッハ
Kantate 182: Himmelkonig, sei willkommen, BWV182 カンタータ182番: 天の王よ、汝を迎えまつらん
1. Sonata ソナタ 34-13.mp3 2:07
2. Chorus 合唱 34-14.mp3 3:55
3. Recitativo (Basso) レチタティーヴォ 34-15.mp3 0:54
4. Aria (Basso) アリア 34-16.mp3 3:07
5. Aria (Alto) アリア 34-17.mp3 7:52
6. Aria (Tenore) アリア 34-18.mp3 4:10
7. Corale コラール 34-19.mp3 4:40
8. Chorus 合唱 34-20.mp3 5:18
ごあいさつ 34-21.mp3 3:42
Encore: J. S. Bach Kantate 182: Himmelkonig, sei willkommen, BWV182
2. Chorus 合唱 34-22.mp3 4:02

<プログラムノート> 鈴木優

本日はお忙しい中、そして世の中がコロナ禍であわただしい中であるにも関わらず、つくば古典音楽合唱団 第34回定期演奏会にご来場いただき、まことにありがとうございます。つくば市で30年以上にわたり継続してきた当合唱団の活動を本日もご支援いただいたことに心からの感謝を申し上げます。プログラムの別項に昨年の3月から今年の10月にかけての活動状況についての記録を「第34期つくば古典音楽合唱団の歩み」として掲載いたしました。私たちの逆境の中での精一杯の活動記録をご覧いただければ幸いです。本日、ホールの中が音楽の力に充たされ、皆様と私たちにとってのひと時の慰めと、明日へと向かう力の一助となれればと願います。私たちの活動はこれからも続きます。今後ともよろしくお願いいたします。

本日の演奏会では「初期から盛期へ、ドイツ・バロック音楽の系譜」と題しまして、ハインリッヒ・シュッツ(Schütz, Heinrich 1585-1672)、ディートリッヒ・ブクステフーデ(Buxtehude, Dietrich 1637-1707)、そしてヨハン・セバスティアン・バッハ (Bach, Johann Sebastian 1685-1750) という17~18世紀に至るドイツ・バロック音楽を代表する3人の音楽家の作品をお聴きいただきます。

シュッツは1585年10月にライプツィッヒの南方40kmにあるケストリッツという村に生まれました。少年時代の美しい声を君主モーリッツ辺境伯(Landgraf Moritz von Hessen-Kassel 1572-1632)に見出され、1598年にカッセルの宮廷礼拝堂歌手となりました。1609年にはサン・マルコ大聖堂のジョヴァンニ・ガブリエリ(Gabrieli, Giovanni 1554/57?-1612)に師事するためにヴェネツィアへ留学します。当時、ドイツでは音楽的に有能な人材は主にイタリアヘ送り出されました。帰国後、1613年よりカッセルで宮廷オルガニストに就任し、1617年にはドレスデンの宮廷楽長となり、1672年11月6日に87才で亡くなるまでこの地位にありました。その間1628年にはヴェネツィアを再訪しモンテヴェルディ(Monteverdi, Claudio 1567-1643)の大きな影響を受けました。

最初に演奏いたします3曲のモテットは1625年に作品4として出版された「カンツィオーネス・サクレ(Cantiones sacrae)」中の作品です。この作品集にはラテン語による四声部の作品が40曲収録されています。この曲集はヴェネツィア留学で学んだイタリアの音楽の影響を強く受けており、「宗教的なマドリガーレ」と呼ばれることもあります。連続して演奏いたします曲集の第1曲「おお、善き、優しき、慈しみにあふれたイエスよ(O bone, o dulucis, o benigne Jesu)」と第2曲「そして軽蔑なさらないでください(Et ne despicias humiliter te petentem)」の歌詞は中世の神学者クレルヴォーの聖ベルナール(Bernard de Clairvaux 1090-1153)の祈りによります。斬新な和声が多く用いられていますが、歌詞の内容の敬虔さおよび神秘的な感情に満ちた音楽となっています。この2曲とは対照的な性格を持つのが第29曲「主に向かいて新しき歌を歌え(Cantate Domino canticum novum)」です。詩編第149編1~3節を歌詞とするこのモテットは「音楽による主の賛美」が主題です。そのため活力に満ちた3拍子の曲中にcanticum(歌を) 、tympano(太鼓) 、choro(合唱)、psalterio(竪琴) といった歌や楽器の名前が出てきますが、それぞれの楽器や演奏を模倣した音型で歌われます。

ブクスデフーデの出生に関する正確な記録は残されていません。1707年7月、「バルト海の新しい読み物(Nova literaria Maris Balthici)」誌に掲載されたブクステフーデの死亡記事によると「彼はデンマークを祖国とし、そこから当地にやってきて、およそ70年の生涯を終えた」と記述されています。この記事からブクステフーデの生年は1637年、そしてその時期に父ヨハネス(Buxtehude, Johannes 1602-1674) が当時デンマーク領であったヘルシングボリでオルガニストとして活動していたことから、当地が出生地と推定されています。ブクステフーデは父が後に移り住んだデンマークのヘルセンゲアにおいてラテン語学校に通い、父のもとで音楽教育を受けたものと考えられています。ブクステフーデは1657年にかつて父が在職していたヘルシングボリの聖マリア教会のオルガニストに、そして1660年にはヘルセンゲアに戻り聖マリア教会のオルガニストに就任しました。1667年11月5日に北ドイツで重要な地位であるリューベックの聖マリア教会のオルガニスト、フランツ・トゥンダー(Tunder, Franz 1614-1667) が亡くなります。そして翌1668年4月11日にブクステフーデは多くの志願者の中からその後任に選ばれます。同年8月には前任者トゥンダーの下の娘であるアンナ・マルガレーテ(Tunder, Anna Margaretha 1646-?)と結婚しますが、この結婚が就任の条件であったかどうかは不明です。しかし後の1703年にマッテゾン(Mattheson, Johann 1681-1764) とヘンデル (Händel, Georg Friedrich 1685-1759)がリューベックを訪れた際ブクステフーデから後任者としての要請を受けたと言われていますが、その際に娘との結婚を条件として提示されたため二人ともすぐに興味を失ったと言われています。1705年にリューベックを訪れたバッハも同様であったようです。結局、ブクステフーデの逝去後すぐに、助手を務めていたシーファーデッカー(Schieferdecker, Johann Christian 1679-1732) が娘のアンナ・マルガレータ(Buxtehude, Anna Margreta 1675-1709) と結婚して後任者となりました。ブクステフーデは40年近くにわたって聖マリア教会での職務を行い1707年5月9日に亡くなりました。「まこと気高く、大いなる誉れに満ち、世にあまねく知られた」と追悼詩に歌われました。約120曲の声楽曲、約90曲のオルガン曲、他にチェンバロのための作品、室内楽作品が残されています。

カンタータ「汝らが言葉や行いで示すすべてを (Alles, was ihr tut mit Worten oder mit Werken BuxWV4)」はブクステフーデの生前に最も有名な声楽作品であり、3種類の手稿譜が今日に伝わっています。全体は8曲の部分から構成されています。第1曲は5声部の弦楽合奏と通奏低音からなる器楽によるソナタです。第2曲は4声部の合唱が加わります。前半はホモフォニックな音楽で後半には装飾的なメリスマ唱法のフレーズが現れます。歌詞はコロサイの信徒への手紙 3:17から取られています。第3曲は第1曲を繰り返します。第4曲はコラール風な合唱によるアリアです。作者不詳の有節詩を3節にわたって歌います。第5曲はバス独唱によるアリオーゾです。歌詞は詩編37:4によります。第6曲は、まずソプラノ独唱と弦楽合奏によりゲオルグ・ニーゲ(Niege, Georg 1525-1589) 作詞によるコラール詩を歌います。引き続き合唱が受け継ぎます。旋律は16世紀の作者不詳の曲のようです。続く第7曲は短い器楽によるソナタで、そのまま第8曲に入ります。この終曲は前半は第2曲の反復ですが後半は装飾的なフレーズによって力強く華やかな音楽になっていきます。

J.Sバッハは1685年3月21日に中部ドイツの小都市アイゼナッハで音楽家の家系の一族に生まれました。15歳の年である1700年にはリューネブルクの聖歌隊員となり、寄宿学校で学びます。卒業後1703年にアルンシュタット、1707年にはミュールハウゼンのオルガニストに採用されています。1707年10月17日にバッハはマリーア・バルバラ(Bach, Maria Barbara 1684-1720)と結婚しました。バッハの最も初期のカンタータはこの時代に作曲されています。この間、1705年10月よりリューベックに滞在しブクステフーデのオルガン演奏や教会音楽に大きな影響を受けました。この滞在は当初4週間の予定でしたが、結局は4ヶ月に及ぶものとなりました。1708~17年はヴァイマールで宮廷オルガニストと楽師長を務めます。このヴァイマール時代までに58曲のカンタータが残されています。本日演奏いたしますカンタータもこの時代に作曲されました。1717~23年にはライプツィッヒ北西50kmのケーテンの宮廷楽長の地位にあります。ケーテンの領主レオポルド公(Leopold von Anhalt-Köthen, 1694-1728)は音楽を好み、宮廷楽団も水準の高いものでした。バッハは楽団の名手たちのために「ブランデンブルク協奏曲」をはじめとする多くの器楽曲を作曲しました。このケーテン時代はバッハの人生の上ではとても幸福な時代であったとされています。しかし、1720年7月に妻バルバラが4人の子供を残して急死します。そしてバッハは翌年の1721年12月3日に宮廷ソプラノ歌手で20歳のアンナ・マグダレーナ・ヴィルケ(Wilcke, Anna Magdalena 1701-1760)と再婚しました。バッハはアンナ・マグダレーナとの間に13人の子供をもうけましたが、成人したのは6人だけでした。同じ頃レオポルド公も再婚をするのですが、新しい后妃が音楽嫌いであったためバッハは転職を考えます。そして1723年にトーマス教会カントルに就任しました。バッハは市内の4つの教会のために作曲し、それを練習して演奏する上に教会付属学校の教師としての職務もこなすという多忙な日々を送ります。その中で最初の1年間になんと約50曲の新作のカンタータを演奏しています。その後も晩年に至るまでバッハの創作は続きます。1747年にはフリードリッヒ大王(Friedrich II., 1712-1786)の主題による「音楽の捧げ物」、1749年にかけて「ミサ曲ロ短調」、「フーガの技法」といった集大成的な作品がまとめられます。1750年3月に白内障の手術を受けますが、これ以降バッハは視力を失います。7月18日に一時的に視力が回復しますが直後に卒中の発作がおこり、10日後の7月28日に65年の生涯を閉じました。「故人略伝」(息子エマーニエル(Bach, Carl Philipp Emanuel, 1714-1788)らによるバッハの年代記)には「バッハは救い主の功徳を願いつつ平穏かつ浄福に世を去った」と記されています。

本日お聴きいただきます、カンタータ第182番「天の王よ、汝を迎えまつらん(Himmelskönig, sei willkommen BWV182)」はバッハにとってヴァイマールの楽師長に就任して最初のカンタータとして1714年に作られました。本日の演奏ではのちにライプツィッヒで再演するために1724年に改訂を施したライプツィッヒ第1稿を用います。この曲は「棕櫚の日曜日」のためのカンタータです。棕櫚の日曜日は聖週間の最初の日であり、イエスが十字架上での死を迎える聖金曜日、そして3日後の復活に先立つ日曜日です。このカンタータの第1曲は、ろばに乗ってエルサレムにやってくるイエスの様子を描く、オーケストラによるソナタです。第2曲はイエスを迎える人々の歓呼の合唱です。このカンタータの歌詞はヴァイマールの教会監督会書記であり宮廷詩人であるザロモン・フランク(Franck, Salomon 1659-1725)によります。第3曲、第4曲はバス独唱によるレチタティーヴォとアリア、第5曲はアルト独唱のアリア、第6曲はテノール独唱のアリアです。この3曲のアリアではイエスの受難に関連するエピソードが歌われていきます。第7曲は合唱によるコラール楽章です。イエスの受難が私にとってどのような意味を持つかを歌います。終曲である第8曲は受難を通じてのイエスに対しての信仰を舞曲風の3拍子の明るく喜ばしい音楽によって歌います。

本日は古楽器によるオーケストラと共にA=415Hzのピッチで演奏いたします。これは現代における古楽器によるバロック音楽演奏の標準的なピッチです。ちなみに現代の標準ピッチA=440Hzは1939年にロンドンでの国際会議で決められたものです。


<オルガン曲> 渡部聡

オランダを代表する作曲家スヴェーリンクは、声楽作品が多数を占めますが、鍵盤作品は70曲ほどが伝わっており、バロック様式を方向づけた重要な作曲家として評価されています。当時からその名声は高く、ヨーロッパ各地から弟子が集まっていました。特にシャイト、シャイデマン、プレトーリウスなどの北ドイツ楽派を通して、その影響はブクステフーデやバッハにまで至っています。鍵盤作品では、イギリスのヴァージナル楽派から影響を受けた変奏曲、対位法的な作品であるファンタジア、そして今回取り上げた即興的なトッカータなどが代表的なジャンルです。ヴェネツィア楽派の単純な音階と和音から成る初期のトッカータに比べると、より器楽的な音形や模倣などに特徴が見られます。


【歌詞対訳】

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