第7回定期演奏会《ハイドンのミサ曲》1993.7.2

<演奏者>
指揮 山崎岩男 / ソプラノ 五十嵐郁子 / アルト 栗林朋子 / テノール 山内広文 / バス 浦野智行 / 第1ヴァイオリン 花崎淳生,二橋洋子 / 第2ヴァイオリン  黒田恵里,大田也寸子 / ヴィオラ 高岡真樹 / チェロ 畑野誠司 / コントラバス 蓮池仁 / トランペット 矢沢定明,竹内信 / ティンパニー 安藤芳広 / オルガン 渡部聡 / 合唱 つくば古典音楽合唱団


<プログラムと演奏録音>

John Stanley (1713-1786) スタンリー
Voluntary 「ヴォランタリー ニ短調作品5」より 07-01.mp3 10:28
Joseph Haydn (1732-1809) ハイドン
Missa brevis Sti Joannis de Deo
“Kleine Orgelmesse” in B (1775)
「小オルガンミサ曲」 07-02.mp3 17:13
  1. Kyrie   あわれみの賛歌
  2. Gloria   栄光の賛歌
  3. Credo   信仰宣言
  4. Sanctus   感謝の賛歌Ⅰ
  5. Benedictus   感謝の賛歌Ⅱ
  6. Agnus Dei   平和の賛歌
-休憩-
Joseph Haydn (1732-1809) ハイドン
Missa in Angustiis
“Nelson-Messe” in D (1798)
「ネルソンミサ」
  1. Kyrie   あわれみの賛歌 07-03.mp3 5:04
  2. Gloria   栄光の賛歌 07-04.mp3 10:59
  3. Credo   信仰宣言 07-05.mp3 9:40
  4. Sanctus   感謝の賛歌Ⅰ 07-06.mp3 2:39
  5. Benedictus   感謝の賛歌Ⅱ 07-07.mp3 5:47
  6. Agnus Dei   平和の賛歌Ⅰ 07-08.mp3 2:32
  7. Dona nobis pacem   平和の賛歌Ⅱ 07-09.mp3 2:49
Encore: Haydn, “Nelson-Messe”, Dona nobis pacem 07-10.mp3 2:48

<プログラムノート> 山﨑岩男

Joseph Haydn (1732~1809) がこの “小オルガンミサ曲” 変ロ長調を作曲したのは 1775年頃とされています。いわゆる《ミサ・ブレヴィス》の形で書かれており、通奏低音の他はヴァイオリン2部の構成で、合唱とソプラノソロを伴います。 “オルガン・ミサ” という呼称に関しては、ハイドン以前の時代、器楽のみの楽曲を指すのが通例ではありましたが18世紀以降、これらの形式の楽曲をも指すようになりました。

この曲には “Missa brevis Sti Joannis de Deo” なる副題も冠されているのですが、これは、この曲が慈悲の友の会修道士の保護聖人Johannes Cuidadに捧げられたことによるものです。ハイドンは17才の少年時代、貧苦にあえぐ頃に、この教会から幾度となく支援を受けたことがありました。このミサ曲はその教会(アイゼンシュタット「慈悲の友の会修道士の教会」)への彼の感謝の意を表わすために書かれたといわれています。

今も現存するこのアイゼンシュタットの教会のオルガンはペダルなしのポジティフ・オルガンでしたので、ペダル技巧の壮麗なバッハなどの作品に比べこの作品はつつましくさえ思える作風であるといえます。とはいえ、1曲目の《キリエ》の「優美さ」やこの曲の頂点といえる《ベネディクトゥス》の、ソプラノソロと技巧を競うような、「華やかさ」はこの楽曲の一つのききどころといえましょう。

さてハイドンはその生涯に於いて2度のイギリス旅行を行っておりますが、その2度目のイギリスの旅を終えて帰国した彼は、晩年とも言えるその時期に、有名なオラトリオ「天地創造」「四季」と、6曲の「ミサ曲」を作曲しました。 これらのミサの依頼主は、 ハイドンが当時楽長としてつかえていたエステルハージ家のニコラウス二世(1765~1833年)で、リヒテンシュタイン家出身の妃の命名日(9月15日)に演奏するミサ曲を毎年書くようにと命ぜられて書くこととなったと言われています。

6曲のミサ曲とは、通称、《戦時のミサ》(1796)、《ハイリゲミサ》(1797)、《ネルソン・ミサ》(1798)、《テレジア・ミサ》(1799)、《天地創造ミサ》(1801)、《ハルモニー・ミサ》(1802)を指し、ハイドンは、これら6曲のミサによって、ミサ曲作曲家としても歴史に名を残すこととなりました。

《ネルソン・ミサ》の名称は、ハイドン自身がつけたものでなく、元来は、 “Missa in Angustiis”「困苦の時のミサ」と名づけられていました。「ネルソン」の名は、「ハイドンがこの曲を作曲中に、イギリスのネルソン提督の艦隊がフランスの艦隊をナイル河口で全滅させたその勝利を聞いて感激し、ベネディクトゥスの章にトランペットのフレーズを入れ勝利のファンファーレとした。」と伝えられるためで、主にドイツ語地域でのこのミサの呼称です。

エステルハージ家の編成であったのか、初版は4人のソリストと合唱、弦、オルガン、ティムパニ、トランペット3とされていましたが、後にフルート、オーボエ、ファゴットが加えられたものが出版されました。また、2度目のイギリス旅行中に聴いて感銘を受けたヘンデルの合唱のスタイルが生かされたのか、カノン、フーガ等、対位法的な書法が使われているのが特徴です。 また、 “サンクトゥス”、 “ベネディクトゥス” に音楽的高まりを持った構成は、この時代のミサとしては珍しいと言われています。


【歌詞対訳】

演奏会記録のページに戻る