第13回定期演奏会《メサイア》1999.11.27

<演奏者>
指揮 鈴木優 / ソプラノ 山内房子 / アルト 阪口直子 / テノール 大島博 / バス 山崎岩男 / コンサート・ミストレス  神戸愉樹美 / 合奏 つくば古典音楽合奏団 (第1ヴァイオリン 神戸愉樹美,大西律子,高橋真二 ; 第2ヴァイオリン 小池吾郎,矢島栄子,松永綾子 ; ヴィオラ 諸岡涼子,上田美佐子 ; チェロ 高群輝夫,松本卓以 ; コントラバス 諸岡典経 ; オーボエ 佐々木美和,川人大地 ; ファゴット 坂田在世 ; トランペット 長田吉充,山上宗則 ; ティンパニー 石井みわ ; チェンバロ 鴨川華子 ; オルガン 渡部聡) / オルガン 渡部聡 / 合唱 つくば古典音楽合唱団


<プログラムと演奏録音>

Part the first
1. Symphony 13-1-01.mp3 3:29
2. Accompagnato (Tenore)
Comfort ye, comfort ye my people 慰めよ、汝らわが民を慰めよと、 13-1-02.mp3 2:46
3. Air (Tenore)
Ev’ry valley shall be exalted すべての谷は高く、 13-1-03.mp3 3:34
4. Chorus
And the glory, the glory of the Lord かくして主の栄光は示され、 13-1-04.mp3 3:02
5. Accompagnato (Basso)
Thus saith the Lord, the Lord of Hosts 万軍の主なる主、かく言い給う、 13-1-05.mp3 1:33
6. Air (Alto)
But who may abide the day of His coming? されど彼の来たる日に誰が耐えよう、 13-1-06.mp3 4:33
7. Chorus
And He shall purify 而して彼レビの子らを潔めん。 13-1-07.mp3 2:42
Recitative (Alto)
Behold, a virgin shall conceive 見よ、ひとりの乙女が身ごもりて男の子を産み、
8. Air (Alto) and Chorus
O thou that tellest good tidings to Zion おお、汝、善き報せをシオンに伝える者よ、 13-1-08.mp3 6:08
9. Accompagnato (Basso)
For behold, darkness shall cover the earth されば見よ、暗きは地を覆い、 13-1-09.mp3 1:50
10. Air (Basso)
The people that walked in darkness 暗闇を歩む民は 13-1-10.mp3 3:13
11. Chorus
For unto us a Child is born じつに、われらのためにひとりの御子が生まれ、 13-1-11.mp3 4:01
12. Pifa (Sinfonia pastorale) 13-1-12.mp3 2:41
Recitative (Soprano)
There were shepherds abiding in the field その地に野営する羊飼いたちにあり
13. Accompagnato (Soprano)
And lo, the angel of the Lord came upon them すると見よ、主の御使い彼らに近づきて、 13-1-13.mp3 0:35
Recitative (Soprano)
And the angel said unto them 御使い彼らに言う、
14. Accompagnato (Soprano)
And suddenly there was with the angel 而してたちまちこの御使いに、 13-1-14.mp3 0:58
15. Chorus
Glory to God in the highest いと高きところにては神に栄光、 13-1-15.mp3 2:05
16. Air (Soprano)
Rejoice greatly, O daughter of Zion 大いに喜べ、シオンの娘よ、 13-1-16.mp3 4:23
Recitative (Alto)
Then shall the eyes of the blind be open’d そのとき瞽者の目が開き、 13-1-17.mp3 5:27
17. Duet (Alt, Soprano)
He shall feed His flock like a shepherd 主はその群を牧者のごとく養い、
18. Chorus
His yoke is easy, and His burthen is light わが軛は易くわが荷は軽ければなり。 13-1-18.mp3 2:23
-休憩-
Part the second
19. Chorus
Behold the Lamb of God 見よ、神の小羊、 13-2-19.mp3 2:44
20. Air (Alto)
He was despised 彼は侮られ 13-2-20.mp3 9:12
21. Chorus
Surely, He hath borne our griefs
and carried our sorrows
まことに彼、われらの悲嘆を担い、
われらの哀しみを負えり。
13-2-21.mp3 1:45
22. Chorus
And with His stripes we are healed 彼の笞打たれし傷によりてわれら癒されたり。 13-2-22.mp3 1:46
23. Chorus
All we like sheep have gone astray われら皆羊のごとく道に迷いて、 13-2-23.mp3 4:01
24. Accompagnato (Tenore)
All they that see Him, laugh Him to scorn すべて彼を見る者は、彼を蔑して笑い、 13-2-24.mp3 0:45
25. Chorus
He trusted in God 彼は神を信ず、 13-2-25.mp3 2:23
26. Accompagnato (Tenore)
Thy rebuke hath broken His heart 汝の誹り彼の心を砕き、 13-2-26.mp3 1:36
27. Arioso (Tenore)
Behold, and see if there be any sorrow 目を留めよ、而して見よ、
かほどの悲嘆があろうか、
13-2-27.mp3 1:14
28. Accompagnato (Tenore)
He was cut off out the land of the living 彼は生ある者の地より取り去られたり。 13-2-28.mp3 0:24
29. Air (Tenore)
But Thou didst not leave His soul in hell されど汝、彼の魂を冥府に捨て置き給わず、 13-2-29.mp3 2:24
30. Chorus
Lift up your heads 汝らの頭を上げよ、 13-2-30.mp3 3:05
Recitative (Tenore)
Unto which of the angels said He at any time 彼はかつて、御使いの誰に言い給いしぞ、 13-2-31.mp3 1:43
31. Chorus
Let all the angels of God worship Him 神のすべての御使いは彼を拝すべし。
32. Air (Alto)
Thou art gone up on high 汝、高きところに登り、 13-2-32.mp3 3:06
33. Chorus
The Lord gave the word 主、御言葉を賜えり、 13-2-33.mp3 1:15
34a. Air (Soprano)
How beautiful are the feet of them かの者たちの足のなんと美しきかな。 13-2-34.mp3 2:33
35a. Chorus
Their sound is gone out into all lands 彼らの声は全地に響きわたり、 13-2-35.mp3 1:31
36. Air (Basso)
Why do the nations so furiously rage together? なにゆえに、国々は共にかくも騒ぎ立ち、 13-2-36.mp3 2:45
37. Chorus
Let us break their bonds asunder われらその枷を切り離し、 13-2-37.mp3 1:40
Recitative (Tenore)
He that dwelleth in the heaven 天に住まい給う方は 13-2-38.mp3 2:09
38. Air (Tenore)
Thou shalt break them with a rod of iron 汝鉄の杖もて彼らを打ち破らん。
39. Chorus
Hallelujah ハレルヤ、 13-2-39.mp3 3:43
-休憩-
Part the third
40. Air (Soprano)
I know that my Redeemer liveth われ知る、わが贖い主は生き給い、 13-3-40.mp3 5:36
41. Chorus
Since by man came death 死がひとりの人によりて来たりしがゆえ、 13-3-41.mp3 1:58
42. Accompagnato (Basso)
Behold, I tell you a mystery 見よ、われ汝らに神秘を告ぐ。 13-3-42.mp3 9:34
43. Air (Basso)
The trumpet shall sound
and the dead shall be raised
ラッパの鳴らん時、死者は朽ちざる者へと甦り、 13-3-43.mp3 8:51
Recitative (Alto)
Then shall be brought to pass そのとき、成就すべし、 13-3-44.mp3 2:09
44. Duet (Alto, Tenore)
O death, where is thy sting? おお、死よ、汝の棘はどこにある。
45. Chorus
But thanks be to God されど、神に感謝すべきかな、 13-3-45.mp3 2:10
46. Air (Soprano)
If God be for us, who can be against us? 神もしわれらの味方なれば、
誰がわれらに敵対できようか。
13-3-46.mp3 4:50
47. Chorus
Worthy is the Lamb that was slain 屠られし子羊こそ、 13-3-47.mp3 7:35

<プログラムノート> 鈴木優

ヘンデルは1685年2月23日にドイツのハレに生まれます。父親は宮廷の外科医兼侍僕でした。洗礼時には Georg Friederich Händel と 綴られていますが、後にイギリスに帰化した際、自ら George Frideric Handel としています。

ヘンデルは幼少より音楽に興味を示し、才能を発揮していましたが、父は彼を法律家にしようと考え、楽器に触るのを禁じたこともあったようです。1697年に父が亡くなった後、1702年にハレ大学で法律を学びますが、同年ハレの改革派大聖堂のオルガニストとなり、これ以後はっきりと音楽家としての道を進むこととなります。

1703年夏にヘンデルはハンブルグに行きます。当時ハンブルグは商業都市として栄え、中産階級市民の援助によるオペラ劇場がありました。ここでヘンデルはオペラの技法を学び、その最初のオペラ『アルミーラ』は1705年1月8日に好評をもって初演されます。

彼は1706年から1710年にかけてイタリアで過ごします。当時イタリアは、カストラート(去勢手術によって高音域を維持した男性歌手)の活躍するオペラが隆盛を極める、音楽の先進国でした。この時期にヘンデルはコレッリやスカルラッティなど多くの音楽家と交流し、イタリア語による声楽曲の作曲技法を習得します。

その後、ドイツのハノーファー宮廷楽長となりますが、1710年11月にロンドンに渡り、当地でオペラ『リナルド』を作曲して1711年2月に初演、大きな成功を収めました。1712年には、いったんハノーファーに戻りますが、すぐに再渡英し、残りの生涯をロンドン中心に活動することとなります。

1719年には彼自身が「運命をかける」と語った、オペラ上演のための株式会社「王宮音楽アカデミー」が設立され、その音楽監督となります。この事業は当初成功し、出資者はその利益から配当金を得ることができたのですが、歌手に支払う莫大な経費などで年々財政は悪化し、1728年6月1日には破産という事態に陥ってしまいました。これには、当時ヒットしたJ・ゲイ台本による大衆的な『乞食オペラ』に聴衆を奪われたことが最後のとどめを刺したと言われています。

しかしヘンデルは、その秋には早くも王室音楽アカデミーの再興を期し、翌年1月、歌手との契約を目的としてイタリアを訪れます。この新しい事業も、その後新たに設立されたオペラ企業である「貴族オペラ」との競合などにより、下降線をたどっていくことになります。けれどもその中にあって、劇場でオラトリオを上演する試みは支持を集めました。

ロンドンの聴衆の興味がイタリア・オペラから離れつつある中、ヘンデルはなおもオペラの作曲に執着します。

このような困難な状況の中で、心身共に疲れたヘンデルは、1737年4月13日、卒中の発作を起こしてしまいます。健康状態は一時かなり深刻でしたが、ドイツのアーヘンでの温泉治療により奇跡的な回復を見せました。

静養の後10月末、彼はロンドンに戻り、すぐに新しいオペラの作曲に取りかかりました。オペラ事業の不振から、ヘンデル自身も大きな負債を抱えて債権者に追われており、その状況を打開しようと試みたのですが、オペラによって過去の栄光を取り戻すことはできませんでした。

しかしこの時期、ヘンデルに転機が訪れます。1737年11月20日にキャロライン王妃が亡くなり、その葬送アンセムの作曲を依頼されたヘンデルは、一週間で『シオンに至る道は悲しみ』を作曲します。

翌1738年には経済上の問題で、翌シーズンのオペラ上演中止を発表しなければなりませんでしたが、この年ヘンデルは『サウル』と『エジプトのイスラエル人』の二つのオラトリオを作曲します。これらは英語のテキストによる宗教的な物語で、独唱曲等の他に多くの合唱曲が含まれます。

ヘンデルのオラトリオは、ヘンデル自身が独奏もつとめるオルガン協奏曲と共に上演され、次第に大きな支持を集めてゆきました。1740年にはミルトンのテキストによる、世俗的オラトリオ『陽気の人、ふさぎの人、中庸の人』も作曲され、旧作も繰り返し上演されるようになります。オラトリオという新しい分野に進むことでヘンデルの人気は上昇線を示します。そして1741年9月14日に『メサイア』は完成、翌年4月13日にアイルランドのダブリンで初演され、熱狂的な成功を収めるのです。その後、彼は多くの宗教曲、世俗オラトリオやアンセムを作曲し続け、イギリスの国民的芸術家としての地位を確かなものとしてゆきます。

最後のオラトリオである『イェフタ』作曲中の1751年2月23日、「左眼視力減退のため作曲を続けることができず」と書き記した彼は、その年の夏左眼の視力を失い、翌年8月には脳に麻痺障害を起こして右目の視力も失ってしまいます。失明により作曲活動は断念したものの、オルガンの即興演奏は以後も続けて行いました。

1759年4月6日、コヴェント・ガーデンにおける『メサイア』演奏の後、帰宅したヘンデルは死期が近いことを悟り、遺書に「困窮した音楽家とその家族のための」巨額の寄付の項を書き加え、復活祭の4月14日の朝、静かに息をひきとります。74歳でした。

4月20日の葬儀には三千人もの人が参列し、ジョン・クロフトの『葬送アンセム』が演奏される中、その遺体はウエストミンスター大聖堂に埋葬されました。今日でも大聖堂内で『メサイア』の楽譜を手にしたヘンデルのモニュメントを見ることができます。

『メサイア』について

『メサイア』のテキストは、オラトリオの台本として見たとき、他に類を見ないユニークな構成をとっています。つまり、物語や事件が連続して進行しているわけではなく、また具体的な登場人物が設定されているわけでもありません。チャールズ・ジェネンズによって作られたこの『メサイア』の台本は、旧約・新訳両聖書の中の聖句を巧みに綴り合わせたもので、その中にはキリスト教の全てが編み込まれているといっても、決して言いすぎではないでしょう。

詳細な内容につきましては、歌詞対訳を熟読玩味していただくとして、以下に簡単にそれぞれのテーマを挙げます。

第一部: 救世主(キリスト)到来の預言、キリストの降誕、キリストの新しい教えによる司牧。
第二部: キリストの受難と復活、福音の広まり、キリストの再臨による救いの完成。
第三部: キリストの復活によるキリストを信じる者の復活とその永生、救いの完成に対する感謝と讃美。

ヘンデルはこの見事に構成されたテキストに触発され、一気にこの大曲を作曲します。1741年8月22日から7日間で第一部を作曲し、続く9日間に第二部を仕上げ、更に6日間で第三部を完成させたのです。オーケストレーションのために2日を費やしましたが、計24日間、9月14日には全曲が仕上がりました。

ところが台本の作者ジェネンズは、ヘンデルの作曲には満足ではなく、しばしばヘンデルを批判します。彼が知人に宛てた手紙には、「彼の『メサイア』にはがっかりしました。彼はその作曲に一年かけ、彼の作品中、最高のものにすると言っておきながら、大急ぎで作曲してしまったのです。このように裏切られるなら、今後彼には宗教的な台本は渡さないことにしようと思います。」と書かれています。ジェネンズの台本作家としての力量、そして聖書全般にわたる教養には、賞賛に値するものがありますが、人間的には決してつきあいやすい人物ではなかったようです。

しかし、翌1742年のダブリンでの初演では600人収容のホールに700人の聴衆が集まり、なお数百人が入場できなかったと記録されています。当時の新聞の批評も、「憧れを抱いて群れ集まった聴衆に『メサイア』が与えたこの上ない歓びは、言葉では言い尽くせない。高貴で威厳に満ちた感動的な歌詞に付けられた音楽の崇高さと気品と優しさは、ともに相たずさえて恍惚とした心と耳をとらえ、魅了した。」と最大級の賛辞を送っています。

『メサイア』の初演から、すでに今日まで250年以上の歳月が経過していますが、この間に『メサイア』は様々な形で演奏されてきました。そもそも『メサイア』の楽譜には、唯一の決定稿というものは存在しません。

ダブリンでの初演以来、公演の度ごとに、その時の歌手の力量や諸般の事情により、あるアリアがアルトで歌われたり、あるいはバスやソプラノによって歌われたりしました。また、ある合唱曲がアリアやレチタティーフに置き換えられるということがしばしばありました。これはヘンデルの時代の音楽が、歌手の声に対して極めて実際的かつ柔軟に対応するのが普通であったからで、そのため同じテキストの曲にいくつかのヴァリエーションが存在するのです。

ヘンデル存命中に、『メサイア』は56回演奏されたと記録されています。今日、一般的に演奏される形に落ち着きはじめたのは、7~8年を経た頃とされています。ヘンデルの没後、『メサイア』は、それぞれの時代の好みに合ったオーケストレーションを施されました。最も有名な例は、1789年の、モーツァルトによるクラリネットやホルンを加えた、古典派二管編成オーケストラへの編曲でしょう。この編曲は、彼の『魔笛』や『レクイエム』を思い起こさせる響きがあちらこちらに聞こえます。また、1959年にトーマス・ビーチャムが録音に使ったグーセンスによるオーケストレーションでは、シンバル・大太鼓などの打楽器をはじめ、後期ロマン派風の大規模な管弦楽に編曲されています。

日ごろ見落とされがちですが、『メサイア』は、ヘンデルの他のオラトリオやオペラに比べて非常に小規模なオーケストラの編成で作曲されています。初演時には、弦楽器と鍵盤楽器以外には二本のトランペットとティンパニーだけでした。後のロンドンでの演奏でオーボエとファゴットが付け加えられます。

しかし、ヘンデルの没後「ヘンデル記念祭」が各地で開催され、次第に膨大な数の音楽家によって『メサイア』が演奏されるようになりました。1784年に行われた「生誕百年祭」では、513人の音楽家によって演奏されたといわれています。そして1883年に行われたフェスティヴァルでは、オーケストラ500人、合唱団4000人の計4500人によって『メサイア』が上演されました。

こうした傾向に対してバーナード・ショウは「もし私が下院議員なら、ヘンデル・オラトリオの演奏には、合唱に48人、オーケストラに32人の計80人までを認め、これを超えた場合は重罪とする法案を提出したい。」と批判しています。

本日の私達の合唱60人、オーケストラ19人の演奏が、バーナード・ショウの、そしてヘンデルの御旨にかなわんことを。


【歌詞対訳】

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