第23回定期演奏会《天才の証明 12 歳と21 歳のアマデウス》2009.10.25

<演奏者>
指揮 鈴木優 / ソプラノ 大川晴加 / アルト 佐久間和子 / テノール 及川豊 / バリトン 小橋琢水 / コンサート・ミストレス 神戸愉樹美 / オーケストラ つくば古典音楽合奏団 / オルガン 渡部聡 /合唱 つくば古典音楽合唱団


<プログラムと演奏録音>

Wolfgang Amadeus Mozart (1756-1791) ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
Te Deum laudamus, KV 141 (66b) テ・デウム 23-01.mp3 8:16
God is our refuge, KV 20 神は我らの避けどころ 23-02.mp3 1:59
Ave Maria (Vierstimmiger Kanon), KV 554 アヴェ・マリア(4 声のカノン) 23-03.mp3 3:27
Alleluia (Vierstimmiger Kanon), KV 553 アレルヤ(4 声のカノン) 23-04.mp3 1:39
Missa brevis in d, KV 65 (61a) ミサ・ブレヴィスニ短調
 Kyrie  あわれみの賛歌(キリエ) 23-05.mp3 1:31
 Gloria  栄光の賛歌(グローリア) 23-06.mp3 2:18
 Credo  信仰宣言(クレド) 23-07.mp3 5:21
 Sanctus  感謝の賛歌(サンクトゥス) 23-08.mp3 1:01
 Benedictus  (ベネディクトゥス) 23-09.mp3 1:37
 Agnus Dei  平和の賛歌(アニュス・デイ) 23-10.mp3 2:21
-休憩-
W. A. Mozart (1756-1791) モーツァルト
Sancta Maria, mater Dei, KV 273 神の御母なる聖マリア 23-11.mp3 4:16
Missa brevis in B, KV 275 (272b) ミサ・ブレヴィス変ロ長調
 Kyrie  あわれみの賛歌(キリエ) 23-12.mp3 1:48
 Gloria  栄光の賛歌(グローリア) 23-13.mp3 3:17
Kirchensonate in B, KV 212 教会ソナタ変ロ長調 23-14.mp3 5:01
 Credo  信仰宣言(クレド) 23-15.mp3 5:29
Offertorium:
Alma Dei creatoris, KV 277 (272a)
奉納唱:
創造主なる神のうるわしの御母
23-16.mp3 5:30
 Sanctus  感謝の賛歌(サンクトゥス) 23-17.mp3 1:25
 Benedictus  (ベネディクトゥス) 23-18.mp3 2:45
 Agnus Dei  平和の賛歌(アニュス・デイ) 23-19.mp3 6:18
Encore: Mozart, Ave verum corpus K.618 23-20.mp3 2:52

<プログラムノート> 鈴木優

本日はお忙しい中、つくば古典音楽合唱団第23 回定期演奏会にご来場いただき、ありがとうございます。皆様のご支援に支えられ、当合唱団は昨年創立20 周年を迎えることができました。21 年目である今年からも、毎週の練習ごとに楽しい雰囲気の中で音楽をする喜びを感じながら、演奏会では水準の高い演奏を皆様にお聴きいただける合唱団を目指して精進を重ねていきたいと思います。私たちの音楽に興味を持っていただけたなら、是非合唱団に参加され、私たちと一緒に音楽をして下さるようお願いいたします。

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尚、当合唱団では昨年の創立20 周年を記念して「定期演奏会演奏の記録」及び「合唱団のあゆみ」という2 冊の記念誌を作成いたしました。ホワイエに用意してありますので、是非手にとってご覧いただければと存じます。

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この4 年間、私たちはバッハの音楽を歌ってきましたが、今回はモーツァルトをお楽しみいただきます。

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モーツァルトの音楽創作分野は、ピアノ独奏曲からオペラまで、当時考えられるほとんどすべての曲種を網羅しています。教会音楽の分野においても、17 曲のミサ曲、1 曲のレクイエム、2 曲のヴェスペレ(晩課)、4 曲のリタニア(連祷)、各1 曲の宗教的ジングシュピール、カンタータ、2 曲のオラトリオ、32 曲のモテットなどの単独の声楽作品、17 曲の教会ソナタ(典礼中に演奏されるオーケストラとオルガンのための音楽)など約80 曲が今日に残されています。これは曲数としてはモーツァルトの全創作の約10%にあたります。

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ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは1756 年1 月27 日にザルツブルクに生まれました。1719年にアウグスブルクで生まれた父レオポルドは、アマデウスほどの才能はなかったにしても有能な作曲家であり教育者でした。アマデウスは5 歳のときにすでにメヌエットなどのピアノの小品を作曲し、レオポルドはそれらの曲を書き留めています。1762 年から1772 年にかけては、ヨーロッパ中の宮廷で神童としてもてはやされた旅の時代です。この間、故郷のザルツブルクにいたのは合わせて3 年程度だったといわれています。馬車による長期にわたる旅行は、幼~少年期のアマデウスにとっては時には身体的に苦痛であったでしょう。しかし、この時期に各地で当時の最高の音楽を体験できたことは、最高の音楽教育を受けることができたということになります。

当時のザルツブルクは、ローマ・カトリック教会の大司教が領主として教会と世俗の両面で統治する、大司教領と呼ばれる都市でした。アマデウスは当時の大司教コロレドから1772 年にコンサートマスター、そして1779 年には宮廷オルガニストに任命されます。アマデウスは外国で仕事をすることを望んでいましたが、コロレドは長期の休暇を与えることに寛容ではなかったのでこの二人の間には対立が生じました。1773年からアマデウスは職を求めて、かつて神童であった自分を受け入れてくれた各地の宮廷を訪ねる旅行をし ます。しかし、すでに青年となっていたアマデウスはことごとく求職活動に失敗し、失意のうちにザルツブルクに帰ることとなります。アマデウスとコロレドの対立は次第に深刻なものとなります。1781 年6 月8 日にはウィーンにおいて、コロレド側近のアルコ伯爵がアマデウスの背中を蹴りつけて、館の外に追い出すという決定的な事態になってしまいました。

アマデウスはそのままウィーンにとどまり、1782 年8 月4 日にコンスタンツェ・ヴェバーと結婚します。コンスタンツェはアマデウスのかつての恋人アロイジアの妹です。レオポルドはこの結婚に強く反対し、1787 年5 月に亡くなるまでコンスタンツェを認めなかったといわれています。コンスタンツェは金銭感覚の欠如や療養先での不品行な行いなどを後世の人々に批判されましたが、アマデウスにとっては良き伴侶であったように思えます。この年(1782 年)の7 月に《後宮よりの逃走》が初演され、大好評を博します。アマ デウスはウィーンで大人気の音楽家となり、1787 年のプラハでの《ドン・ジョヴァンニ》の初演でその成功のピークを迎えます。しかしながら、レオポルドが亡くなった1787 年の年末からアマデウスの人気は下降線をたどります。残りの4 年間の人生は常に借金をし続ける必要に迫られました。

なぜウィーンの人々が急速にアマデウスに対する関心を失ったのかという点には、「モーツァルトの音楽 が当時の聴衆の耳には、あまりにも前衛的なものとなってしまった(ヨーゼフⅡ世は、モーツァルトの音楽がウィーン人の趣味には合わないと語っています)」「《フィガロの結婚》において貴族階級を風刺する内容が反感を買った」などさまざまな見解があります。しかし、確証のある答えは出されていません。

そうして経済的困窮の中、依頼を受けて作曲中であった《レクイエム》を完成させることができないうちに1791 年12 月5 日に35 歳で亡くなります。当時の死亡者台帳には「急性粟粒発疹熱」という死因が記録されています。経済的理由から葬儀はできるだけ安くあげられました。葬儀の会葬者はだれも墓地まで行かなかったため、埋葬された墓地の正確な場所は未だ不明なままです。

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このようにモーツァルトの人生をたどってみると、大きく三つの時期に分けることができます。
Ⅰ. 1762~1772 年(6~16 歳) 各地の宮廷で神童ともてはやされる「旅の時代」
Ⅱ. 1773~1781 年(17~25 歳)コロレドとの対立、就職活動の不調「ザルツブルク時代」
Ⅲ. 1781~1791 年(25~35 歳)人気の絶頂と凋落「ウィーン時代」

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モーツァルトの教会音楽の作曲は、このうち最初の二つの時代に集中しています。すでに「旅の時代」に多くの依頼を受けていました。「ザルツブルク時代」では雇い主が大司教ですので、職務として多くの教会音楽を作曲しました。「ウィーン時代」には《ハ短調ミサ曲(未完成)》《アヴェ・ヴェルム・コルプス》《レクイエム(未完成)》の3 曲のみが作曲されました。モーツァルトのウィーン時代は「ヨーゼフの10 年」と呼ばれる、マリア・テレジアの息子ヨーゼフ2 世が統治し社会を大きく変えた時代と重なります。ヨーゼフの改革のひとつはカトリック教会の権力や影響力を制限したことです。教会音楽についてもその演奏を制限する法令が布告されました。このような状況が、この時期にモーツァルトが教会音楽の作曲をほとんどしなかったことの原因であると考えられています。

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本日、最初に演奏いたします《テ・デウム KV 141 (66b) 》は1769 年の終わり頃、モーツァルト13 歳の年に作曲されたと推定されています。歌詞は4 世紀のミラノの司教、聖アンブロジオによる神への感謝の賛歌です。この曲は、冒頭の力強いアレグロ~短いアダージョ~3 拍子のアレグロ~終結のフーガ、という変化に富んだ構成となっています。

《神は我らの避けどころ KV 20 》が作曲されたのは1765 年7 月、なんとモーツァルト9 歳の作品です。1 年以上にわたるロンドン滞在の最後に、大英博物館のために英語による詩編46 編を歌詞とする23 小節の小品を残しました。短い中にも、不協和音の用法、転調、減七和音の使用など、後の音楽的発展の萌芽がすでに見られます。

《アヴェ・マリア KV 554 》《アレルヤ KV 553 》の2 曲は、4 声によるカノン、要するに輪唱です。ユーモラスな歌詞や、時には少々わいせつな歌詞によるもの、あるいは器楽を想定したものなど31 曲のモーツァルトのカノンが今日に伝わっています。おそらくプライヴェートな場で楽しみのために歌われたのでしょう。この2 曲の自筆譜には1788 年9 月2 日の日付があります。モーツァルト32 歳の作品です。

《ミサ・ブレヴィスニ短調 KV 65 (61a) 》は1769 年1 月14 日に完成いたしました。モーツァルト12歳の作品です。2 月5 日にザルツブルク大学の教会での「40 時間の祈り」という四旬節を前にして罪の償いをする典礼において初演されました。遺作となる《レクイエム》と同じニ短調というモーツァルトにとって宿命的な調性によっています。

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演奏会の後半では、1777 年、モーツァルト21 歳の作品をお聴きいただきます。《聖なるマリア、神の御母 KV 273 》は1777 年9 月9 日に完成しました。この年の夏にモーツァルトは一時的に宮廷を解雇され、マンハイムからパリへと求職のための旅行をします。この曲はそれを前にしての個人的な祈願として作曲したのではないかと考えられています。

《ミサ・ブレヴィス変ロ長調 KV 275 (272b) 》は1777 年の夏あるいは秋に作曲され、12 月21 日に行われた演奏が初演であったと思われます。大司教コロレドは啓蒙主義の方針にそった近代化を領地内で行ないましたが、ミサの短縮化もそのひとつでした。荘厳なミサにおいてもミサの音楽部分の合計が45 分を超えてはならないとされたので、この時期のモーツァルトのミサ曲はミサ・ブレヴィスとよばれる、短く簡潔な形式をとっています。ミサ曲は定型としてはキリエ、グローリア、クレド、サンクトゥス、ベネディクトゥス、アニュス・デイの6 楽章をひとつのセットとします。しかし実際のミサでは、その6 楽章は連続して歌われるのではなく、ミサの式次第にしたがって、さまざまな祈り、説教、それぞれの主日に固有の音楽などの間に歌われます。本日の演奏ではグローリアとクレドの間に《教会ソナタ変ロ長調KV 212 》、そしてクレドとサンクトゥスの間に《奉納唱創造主なる神のうるわしの御母 KV 277 (272a) 》を演奏いたします。

教会ソナタはモーツァルトの時代には一般的であった、典礼中にオーケストラによって演奏される器楽曲です。ミサの中の使徒書簡と福音書朗読の間で演奏されるので、書簡ソナタともよばれています。本日はミサ曲の調性にあわせて1775 年7 月に作曲されたKV 212 を演奏いたします。

《創造主なる神のうるわしの御母 KV 277 (272a) 》は当初から《ミサ・ブレヴィス KV 275 (272b) 》と一緒に演奏するために作曲されたのでしょう。作曲の時期も同じであり、曲想にも一貫したものが感じられます。


【歌詞対訳】

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