第24回定期演奏会《盛期バロック音楽の双極》2010.10.31

<演奏者>
指揮 鈴木優 / ソプラノ 大川晴加 / メゾソプラノ 佐久間和子 / コンサート・ミストレス 神戸愉樹美 / オーケストラ つくば古典音楽合奏団 (第1ヴァイオリン 神戸愉樹美,夏目美絵 ; 第2ヴァイオリン 小林瑞葉,杉田せつ子 ; ヴィオラ 今野千穂 ; チェロ 夏秋裕一 ; コントラバス 諸岡典経 ; オーボエ 豊田舞 ; トランペット 島田俊雄 ; オルガン 渡部聡) / 合唱 つくば古典音楽合唱団


<プログラムと演奏録音>

Antonio Vivaldi (1678-1741) アントニオ・ヴィヴァルディ
Credo, RV 591 クレド(信仰宣言)
1. Credo 私は信じる 24-01.mp3 2:37
2. Et incarnatus est 主は受肉され 24-02.mp3 1:34
3. Crucifixus 主は十字架につけられ 24-03.mp3 3:58
4. Et resurrexit 主は復活され 24-04.mp3 3:13
Johann Sebastian Bach (1685-1750) ヨハン・セバスティアン・バッハ
Jesu, meine Freude, BWV 227 イエスよ、わが喜びよ(モテット第3番)
1. Choral: Jesu, meine Freude コラール第1節:イエスよ、わが喜びよ 24-05.mp3 1:13
2. Es ist nun nichts 今や罪に定められる人なし(ローマ8:1) 24-06.mp3 2:39
3. Choral: Unter deinem Schirmen コラール第2節:あなたの庇護の下で 24-07.mp3 1:12
4. Denn das Gesetz des Geistes なぜなら霊の法則が(ローマ8:2) 24-08.mp3 0:58
5. Choral: Trotz dem alten Drachen コラール第3節:古き竜をものともせず 24-09.mp3 2:07
6. Ihr aber seid nicht fleischlich あなたがたは肉に属さず(ローマ8:9) 24-10.mp3 3:10
7. Choral: Weg mit allen Schatzen コラール第4節:すべての宝よ去れ 24-11.mp3 1:10
8. So aber Christus in euch ist キリストがあなたがたに宿れば(ローマ) 24-12.mp3 2:25
9. Choral: Gute Nacht, o Wesen コラール第5節:おやすみ、この世のものよ 24-13.mp3 2:07
10. So nun der Geist 今やかの方の霊が(ローマ8:11) 24-14.mp3 3:10
11. Choral: Weicht, ihr Trauergeister コラール第6節:退け、悲しみの霊よ 24-15.mp3 1:16
-休憩-
Antonio Vivaldi (1678-1741) アントニオ・ヴィヴァルディ
Gloria, RV 589 グローリア(栄光の賛歌)
1. Gloria in excelsis Deo (Coro) 天のいと高きところには神に栄光あれ(合唱) 24-16.mp3 2:35
2. Et in terra pax hominibus (Coro) 地には人々に平和あれ(合唱) 24-17.mp3 5:01
3. Laudamus te (Soprano & Alto soli) 私たちは主をほめ(二重唱) 24-18.mp3 2:44
4. Gratias agimus tibi (Coro) 私たちは感謝申し上げる(合唱) 24-19.mp3 0:28
5. Propter magnam gloriam (Coro) 大いなる栄光のゆえに(合唱) 24-20.mp3 1:10
6. Domine Deus (Soprano solo) 神なる主よ(ソプラノ独唱) 24-21.mp3 4:31
7. Domine Fili Unigenite (Coro) 御ひとり子なる主よ(合唱) 24-22.mp3 2:37
8. Domine Deus, Agnus Dei (Alto solo & Coro) 神なる主、神の子羊よ(アルト独唱と合唱) 24-23.mp3 4:27
9. Qui tollis peccata mundi (Coro) 世の罪を除きたもう主よ(合唱) 24-24.mp3 1:19
10. Qui sedes ad dexteram (Alto solo) 右に座したもう主よ(アルト独唱) 24-25.mp3 2:44
11. Quoniam tu solus Sanctus (Coro) あなたのみが聖なる方(合唱) 24-26.mp3 0:50
12. Cum Sancto Spiritu (Coro) 聖霊とともに(合唱) 24-27.mp3 2:59
Encore: Cum Sancto Spiritu (Coro) 聖霊とともに(合唱) 24-28.mp3 3:50

<プログラムノート> 鈴木優

本日はお忙しい中、つくば古典音楽合唱団 第24回定期演奏会にご来場いただき、まことにありがとうございます。私たちにとって年に1回の定期演奏会はもっとも重要な行事ですが、私たちの活動はこれだけにとどまりません。昨年は10月の定期演奏会のほかに、12月にノバホール・ホワイエにおいてクリスマス・コンサートを行いました。また、私たちは1996年以来、年に1~2回の団内音楽会をしておりますが、これは合唱団員の技術向上のために行っている個人レッスンの成果を発表する良い機会となっています。今年もすでに2月と9月に行い、40を超える演目が並ぶ音楽会となりました。このように当合唱団におきましては年々団員の音楽的な意欲が増すと同時に技術的な能力も向上し、毎週の練習を中心として楽しい雰囲気の中で充実した活動をしております。本日の演奏をもし気に入っていただけましたら、どうか当合唱団にご参加いただき、いっしょに歌っていただきたいと皆様に心よりお願い申し上げます。

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尚、本日の演奏会の休憩時にはホワイエにおきましてコーヒー、紅茶、ケーキ、クッキーを準備させていただいておりますので、是非こちらもお楽しみ下さい。この売り上げは、やりくりの難しい私たちの財政状況を助けてくれるものとなります。また、本日の演奏曲目の楽譜と当合唱団の創立20周年誌も用意してありますので、是非手にとってご覧いただければと存じます。

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本日の演奏会では「盛期バロック音楽の双極」と題しましてヨハン・セバスティアン・バッハ(1685‐1750)とアントニオ・ヴィヴァルディ(1678‐1741)の音楽をお聴きいただきます。同時代を生きたバロック期を代表する二人の作曲家ですが、その作風は非常に対照的であると言えるでしょう。この二人の作品の対照的な性格は、北ドイツ-イタリア、プロテスタント教会-カトリック教会、ドイツ語-ラテン語、オルガニスト-ヴァイオリニスト、といったキーワードでご想像いただけるでしょう。

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現代のクラシック音楽愛好家は過去に作曲された名曲を聴くことを好みますが、そのような傾向は19世紀半ば以降のことであり、それ以前の音楽愛好家にとっての関心はあくまで同時代の音楽にありました。ですので作曲者の没後、その作品が忘れられるということは当然のことでした。バッハの死後に「マタイ受難曲」がメンデルスゾーンによって再演されたのは、没後79年が経過した1829年のことでした。ヴィヴァルディが再発見されたのは、それ以降バッハの作品に対しての調査が進む過程でバッハがイタリアの協奏曲の様式を研究するために行った編曲の作業の原曲の中にヴィヴァルディの名があったことが契機となりました。同じように、一度は忘れられた存在であったにもかかわらず再発見されて以降バッハは「音楽の父」あるいは「第五の福音書記者」とまで神格化されることになります。またヴィヴァルディはさまざまな批判にさらされた時代もありましたが、協奏曲集「四季」はバロック音楽の代名詞ともなりました。

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ヨハン・セバスティアン・バッハは1685年3月21日に中部ドイツの小都市アイゼナッハで音楽家の家系に生まれました。1700年にはリューネブルクの聖歌隊員となり、寄宿学校でも学びます。卒業後1703年にアルンシュタット、1707年にはミュールハウゼンのオルガニストに採用されます。1707年10月17日にバッハはマリーア・バルバラと結婚しました。バッハの最も初期のカンタータはこの時代に作曲されました。この間の1705年10月よりリューベックに滞在しブクステフーデのオルガン演奏や教会音楽に大きな影響を受けました。この滞在は当初4週間の予定でしたが、結局は4ヶ月に及ぶものとなりました。バッハは生涯全体において比較的狭い地域の中で生活しておりましたので、この旅行は最も大きな旅行でした。1708~17年はヴァイマールで宮廷オルガニストと楽師長を務めます。1717~23年にはライプツィッヒ北西50kmのケーテンの宮廷楽長の地位にあります。ケーテンの領主レオポルト公は音楽を好み、宮廷楽団も水準の高いものでした。バッハは楽団の名手たちのために「ブランデンブルク協奏曲」をはじめとする多くの器楽曲を作曲しました。このケーテン時代はバッハの人生の上ではとても幸福な時代であったとされています。しかし、1720年7月に妻バルバラが4人の子供を残して急死してしまいます。そしてバッハは翌年の1721年12月3日に宮廷ソプラノ歌手で20歳のアンナ・マグダレーナ・ヴィルケと再婚します。バッハはアンナ・マグダレーナとの間に13人の子供をもうけましたが、成人したのは6人だけでした。同じ頃レオポルト公も再婚をするのですが、新しい后妃が音楽嫌いであったためバッハは転職を考えます。そして1723年にトーマス教会カントルに就任しました。バッハは市内の4つの教会のために作曲し、それを練習して演奏する上に教会付属学校の教師としての職務もこなすという多忙な日々を送ります。最初の1年間になんと約50曲の新作のカンタータを演奏しています。その後も晩年に至るまでバッハの創作は続きます。1747年にはフリードリッヒ大王の主題による「音楽の捧げ物」、1749年にかけて「ミサ曲ロ短調」、「フーガの技法」といった集大成的な作品がまとめられます。1750年3月に白内障の手術を受けますが、これ以降バッハは視力を失います。7月18日に一時的に視力が回復しますが直後に卒中の発作がおこり、10日後の7月28日に65年の生涯を閉じました。「故人略伝」(息子エマーニエルによるバッハの年代記)には「バッハは救い主の功徳を願いつつ平穏かつ浄福に世を去った」と記されています。

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バッハの真作と認められているモテットは6曲あります。それらは葬儀あるいは追悼式といった特定の行事のために依頼されて作曲されたものです。モテット第3番「イエスよ、わが喜びよ BWV227」は1723年7月18日に聖ニコライ教会で行われた中央郵便局長未亡人ヨハンナ・マリア・ケーゼの追悼礼拝で歌われたものと考えられています。このモテットはヨハン・フランクが1653年に作詞し、ヨハン・クリューガーが1656年にベルリンで作曲したコラール(ドイツ・プロテスタント教会の賛美歌)の旋律に対する6曲の編曲の間に、おそらく故人の意思によって選ばれたと思われる「ローマの信徒への手紙」第8章の聖句をテキストとする自由に作曲された5曲の合唱曲が交互にはさみ込まれるという形をとっており、全11曲によって構成されています。この11曲は中央に置かれた第6曲のフーガを中心としてシンメトリーに配置されています。すなわち第1曲と第11曲がまったく同一のコラール編曲、第2曲と第10曲が共通の楽想による合唱曲、第3曲と第9曲がコラール編曲、第4曲と第8曲がそれぞれ3声部からなる自由な合唱曲、そして第5曲と第7曲がコラール編曲となっています。この曲には独立した器楽のパートは残されておりませんが、当時の習慣から合唱のみによるア・カペラではなく器楽と共に演奏したであろうと考えられます。本日の演奏ではチェロ、コントラバス、オルガンによる通奏低音とともに演奏いたします。

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アントニオ・ヴィヴァルデイは1678年3月4日にヴェネツィアに生まれました。父であるジョヴァンニ・バッティスタはヴァイオリニストとして知られる一方、作曲もしていました。妻カミッラ・カリッキオとの間には6人の子供があり、アントニオは最初の子供でした。ヴィヴァルディは父からヴァイオリン演奏法を学びましたが、1693年から1703年にかけては聖職者になるための教育を受けます。しかし司祭になってから間もなくしてミサを司式することをしなくなってしまいました。ヴィヴァルディはその理由を、生涯にわたって悩まされた喘息の持病によるものと弁明していましたが、音楽に専念したいと考えたのではないかと推測されています。当時のヴェネツィアには私生児や捨て子であった少女を救済するための養育院が4つありました。その中の一つであるピエタ養育院は特に音楽を重要視して、才能のある少女に音楽教育を受ける機会を与えました。ピエタ養育院の少女たちによる礼拝式での演奏は大変な評判でした。ヴィヴァルディは1703年にピエタ養育院のヴァイオリン教師となります。1709年に一度解任されますが1711年には再任され、より責任のある地位に就き教会音楽の作曲をする機会も与えられました。この頃からヴィヴァルディは作曲家としての名声を得ることを望んでいました。1705年には12曲のトリオ・ソナタが作品1としてヴェネツィアで出版されました。そして1711年にはアムステルダムで「調和の霊感」と題された協奏曲集が作品3として出版され、ヴィヴァルディの名前が国外でも知られるようになります。この曲集は今日、ヴィヴァルディのもっとも充実した曲集として知られており、バッハもこのうちの5曲をチェンバロ協奏曲やオルガン曲に編曲しています。また、現在までヴィヴァルディの作曲した21曲のオペラが残っていますが、最初のオペラ「狂乱を装ったオルランド」は1714~1715年のシーズンに上演されています。作曲家として、ヴァイオリン演奏家として有名になったヴィヴァルディはその後各地を旅行することが多くなります。1723年と1724年の謝肉祭のシーズンにはローマ教皇の招待に応じてローマで演奏し、1728年には神聖ローマ皇帝カール6世と会っています。その後も各地への客演や、毎年のシーズンごとにオペラの作曲を続けます。しかし晩年にはヴェネツィアの聴衆の好みはヴィヴァルディから次第に離れていきました。そして1741年7月28日にウィーンの馬具屋の未亡人の家で没し病院墓地に貧困者として埋葬されました。当時のヴェネツィアの記録に「かつては5万ドゥカーテンの収入を得ていたヴィヴァルディが、浪費のため貧困のうちに没した」と書かれています。

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約60曲が残されているヴィヴァルディの教会音楽は、正確な作曲年代や当時の演奏記録などがいまだに不明です。イタリアのトリノ国立図書館にはヴィヴァルディの作品の約300曲の筆写譜が所蔵されており、そのうち5巻分が教会音楽にあたります。これらの楽譜は1764年以降ヴェネツィア駐在オーストリア大使をつとめたジャコモ・デュラッツォ伯爵が収集したもので、それが1930年頃にある修道院で発見されその土地の素封家によって図書館に寄贈されたという経緯のものです。この楽譜を研究した作曲家のアルフレード・カゼラが「クレド」「グローリア」を含む4曲の教会音楽をシエーナでのヴィヴァルディ音楽祭週間の演奏会で演奏したのは1939年9月20日のことでした。この復活上演はヴィヴァルディの死後200年のことであり、メンデルスゾーンによる「マタイ受難曲」の再演よりさらに100年以上の年月が経っています。本日の演奏会の冒頭で演奏いたします「クレド RV591」は1715年頃にピエタ養育院のために作曲されたと推定されます。全体は「私は信じる」「主は受肉され」「主は十字架につけられ」「主は復活され」の4つの部分からなります。弦楽合奏、通奏低音、4声部合唱という編成で書かれています。プログラム後半で演奏いたします「グローリア RV589」も自筆譜の筆跡から「クレド」同様、おそらく1715年頃の作品と考えられています。この曲は弦楽合奏、通奏低音、4声部合唱のほかに各1本のオーボエとトランペット、2名の声楽ソリストのために作曲されており、輝かしい響きの楽章や内省的な祈りの楽章、合唱とソリストの対比など変化に富んだ音楽となっています。全体を12の部分に分けて作曲されています。「天のいと高きところには神に栄光あれ」はトランペットを伴う輝かしい音楽であり、「地には人々に平和あれ」はナポリの6の和音が印象的な深い祈りの音楽です。続く「私たちは主をほめ」はバロック・オペラを思わせるソリストの二重唱です。「私たちは感謝申し上げる」は荘厳な和声の合唱であり、連続して歌われる「大いなる栄光のゆえに」は小さなフーガとなります。「神なる主よ」はオーボエによるオブリガート付きの牧歌的なアリアです。「御ひとり子なる主よ」は付点のリズムによる、3拍子の活気のある合唱曲です。続いてアルト独唱と合唱によって「神なる主、神の子羊よ」が敬虔な対話として歌われ、さらに「世の罪を除きたもう主よ」が切実な願いの合唱として続きます。「右に座したもう主よ」がアルトのアリアとして歌われ、「あなたのみが聖なる方」ではトランペットを伴う第1曲の音楽が回帰します。終曲の「聖霊とともに」はフーガによって全曲を締めくくります。


【歌詞対訳】

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