<演奏者>
揮揮 鈴木優/ソプラノ 和泉純子/メゾ・ソプラノ 紙谷弘子/テノール 谷川佳幸/バリトン 山﨑岩男/コンサート・ミストレス 神戸愉樹美/オーケストラ つくば古典音楽合奏団(第1ヴァイオリン 神戸愉樹美 宮崎桃子 宮崎蓉子 佐々木梨花; 第2ヴァイオリン 天野寿彦 奥村琳 影山優子 松橋輝子; ヴィオラ 小林瑞葉 中島由布良; チェロ 高群輝夫 北嶋愛季; コントラバス 井上陽; バセットホルン 大友幸太郎 戸田竜太郎; ファゴット 永谷陽子、宮本久男; トランペット 金城和美 村上信吾; トロンボーン 宮下宣子 廣田純一 飯田智彦; ティンパニ 鈴木力; オルガン 渡部聡)/合唱 つくば古典音楽合唱団
<プログラムと演奏録音>
客席1F最後部での録音とステージ吊り下げマイクの録音を掲載しました。( ) 内はステージ。
Wolfgang Amadeus Mozart (1756-1791) | ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト | ||
Missa brevis in D, KV194 (186h) | ミサ・ブレヴィス ニ長調 |
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Ⅰ. | Kyrie | あわれみの賛歌(キリエ) | 32-01.mp3 (s32-01.mp3) 1:57 |
Ⅱ. | Gloria | 栄光の賛歌(グローリア) | 32-02.mp3 (s32-02.mp3) 2:52 |
Kirchensonate Nr. 4 in D, KV144 (124a) | 教会ソナタ4番 ニ長調 |
32-03.mp3 (s32-03.mp3) 5:21 | |
Ⅲ. | Credo | 信仰宣言(クレド) | 32-04.mp3 (s32-04.mp3) 6:14 |
Ⅳ. | Sanctus | 感謝の賛歌(サンクトゥス) | 32-05.mp3 (s32-05.mp3) 1:27 |
Ⅴ. | Benedictus | 感謝の賛歌(続き)(ベネディクトゥス) | 32-06.mp3 (s32-06.mp3) 2:07 |
Ⅵ. | Agnus Dei | 平和の賛歌(アニュス・デイ) | 32-07.mp3 (s32-07.mp3) 5:34 |
-休憩- | |||
W. A. Mozart (1756-1791) | モーツァルト | ||
Requiem, KV 626 | レクイエム | ||
Ⅰ. | Introitus: Requiem | 入祭唱「永遠の安息を」 | 32-08.mp3 (s32-08.mp3) 5:33 |
Ⅱ. | Kyrie | あわれみの賛歌(キリエ) | 32-09.mp3 (s32-09.mp3) 2:49 |
Ⅲ. | Sequenz: Dies irae | 続唱「怒りの日」 | |
No.1 Dies irae | 1. 怒りの日 | 32-10.mp3 (s32-10.mp3) 1:58 | |
No.2 Tuba mirum | 2. くすしきラッパの音が | 32-11.mp3 (s32-11.mp3) 3:29 | |
No.3 Rex tremendae | 3. みいつの大王 | 32-12.mp3 (s32-12.mp3) 2:16 | |
No.4 Recordare | 4. 思い出したまえ | 32-13.mp3 (s32-13.mp3) 5:57 | |
No.5 Confutatis | 5. 呪われし者らを黙らせ | 32-14.mp3 (s32-14.mp3) 2:36 | |
No.6 Lacrimosa | 6. 涙の日 | 32-15.mp3 (s32-15.mp3) 3:43 | |
Ⅳ. | Offertorium: Domine Jesu | 奉献唱「主イエス・キリストよ」 | |
No.1 Domine Jesu | 1. 主イエス・キリストよ | 32-16.mp3 (s32-16.mp3) 4:06 | |
No.2 Hostias | 2. 供物と祈りを | 32-17.mp3 (s32-17.mp3) 4:11 | |
Ⅴ. | Sanctus | 感謝の賛歌(サンクトゥス) | 32-18.mp3 (s32-18.mp3) 1:52 |
Ⅵ. | Benedictus | (ベネディクトゥス) | 32-19.mp3 (s32-19.mp3) 5:05 |
Ⅶ. | Agnus Dei | 平和の賛歌(アニュス・デイ) | 32-20.mp3 (s32-20.mp3) 3:15 |
Ⅷ. | Communio: Lux aeterna | 聖体拝領唱「永遠の光が」 | 32-21.mp3 (s32-21.mp3) 6:12 |
Encore: W. A. Mozart, Ave verum corpus KV618 | 32-22.mp3 (s32-22.mp3) 3:06 |
<プログラムノート> 鈴木優
本日は、つくば古典音楽合唱団第32回定期演奏会にご来場いただき、ありがとうございました。厚く御礼申し上げます。また、ありがたいことに当合唱団は今年創立30周年という記念の年を迎えることができました。当合唱団は1988年4月に発足しましたが、同年11月の第1回演奏会での合唱団の出演者は23名でした。その時の私たちには1,000人収容のノバホールは大きすぎると考えたためホワイエで演奏会を行いました。そして本日の30周年記念演奏会には72名の出演者を数えるまでになりました。合唱団の記録によると、この30年の間に在団された方は445名に上るとのことです。これだけの多くの方々の音楽に対する愛と熱意が合唱団を存続発展させたことは間違いのないことですが、同時に演奏会を聴きに来て下さり、温かい拍手を送って下さる私たちの友人、知人、家族といったサポーターの皆様の応援なくしては、私たちはここまで来ることはできなかったでしょう。そしてすばらしい音楽の力と人間性によって私たちを支えて下さるオーケストラ、そして声楽家の皆様に感謝を忘れることはできません。皆様、今後ともよろしくお願いいたします。
本日の演奏会ではヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト (Mozart, Wolfgang Amadeus 1756-1791)が18歳の年である1774年に作曲した《ミサ・ブレヴィス KV194》と生涯最後の作品である1791年の《レクイエムKV626》を演奏いたします。
アマデウス・モーツァルトは1756年1月27日にザルツブルクに生まれました。父、レオポルト(Mozart, Leopold 1719-1787)は有能な音楽家であり教育家でした。アマデウスは5歳のときにすでにピアノの小品を作曲し、レオポルトはそれらの曲を書き留めています。1762年から1772年にかけてはヨーロッパ中の宮廷で神童としてもてはやされました。馬車による長旅は、幼いアマデウスにとっては苦痛であったでしょう。しかし、この時期に各地で当時の最高の音楽を体験できたことは、後の創作のための貴重な財産となりました。
当時のザルツブルクは、ローマ・カトリック教会の大司教が領主として教会と世俗の両面で統治する、大司教領でした。モーツァルトは当時の大司教コロレド(Colloredo, Hieronymus Joseph Franz de Paula 1732-1812)から1772年にコンサートマスター、そして1779年には宮廷オルガニストに任命されます。
本日の演奏会の前半に演奏いたします《ミサ・ブレヴィス KV194》の自筆譜には1774年8月8日の日付が書かれています。ザルツブルク時代のモーツァルトにとってミサ曲の作曲は職業上の義務であり、14曲のミサ曲をザルツブルクの教会のために作曲しました。大司教コロレドは啓蒙主義の方針による近代化の方針から、ミサの短縮化を命じました。そのため荘厳なミサにおいてもミサの音楽部分の合計が45分を超えてはならないとされたので、この時期のモーツァルトのミサ曲はミサ・ブレヴィスとよばれる、短く簡潔な形式をとっています。この曲はミサ通常文である〈キリエ〉、〈グローリア〉、〈クレド〉、〈サンクトゥス〉、〈ベネディクトゥス〉、〈アニュス・デイ〉の6楽章で構成されています。尚、本日は〈グローリア〉と〈クレド〉の間に、《ミサ・ブレヴィス KV194》のために作曲された教会ソナタKV144を演奏いたします。教会ソナタは、当時のミサにおいて、使徒書簡朗読と福音書朗読の間で演奏された器楽曲です。
モーツァルトは14歳の頃からミラノ、ミュンヘン、ウィーンといった大きな都市の宮廷や劇場から作曲の依頼を受けていました。さらに外国で仕事をして自らの才能を羽ばたかせることを望んでいましたが、コロレドは長期の休暇を与えることを渋ったので、この二人の間には対立が生じました。1777年からモーツァルトは職を求めて、再び各地の宮廷を訪ねる旅行をします。しかし、翌1778年7月3日に旅先で母が亡くなり、その上ことごとく求職活動に失敗し失意のうちにザルツブルクに帰ることとなります。モーツァルトとコロレドの対立は次第に深刻なものとなります。1781年6月8日にはウィーンにおいてコロレド側近のアルコ伯爵 (Arco, Karl Joseph Maria Felix 1743-1830) がモーツァルトの背中を蹴りつけて、館の外に追い出すという決定的な事態になってしまいました。
モーツァルトはウィーンにとどまり、1782年8月4日に父の反対をおしてコンスタンツェ・ヴェーバー(Weber, Constanze 1762-1824)と結婚しました。この年の7月には《後宮よりの逃走》が大好評を博し、モーツァルトはウィーンで大人気の音楽家となります。その人気は1787年のプラハでの《ドン・ジョヴァンニ》の初演でピークを迎えますが、その後モーツァルトの人気は下降線をたどり、残りの4年間の人生では常に借金をし続ける必要に迫られました。
人々がモーツァルトに対する関心を失った理由としては、「モーツァルトの音楽が当時の聴衆の耳には、あまりにも前衛的なものとなってしまった(ヨーゼフⅡ世(Joseph II, 1741-1790)は、モーツァルトの音楽がウィーン人の趣味には合わないと語っています)」など様々な見解があります。経済的困窮の中モーツァルトは1791年12月5日に35歳で亡くなります。死亡者台帳には「急性粟粒発疹熱」と死因が記録されています。葬儀は最低の等級で行われ、墓地まで同行した会葬者はいなかったため、埋葬された墓地の正確な場所はわからなくなってしまいました。
《レクイエム KV626》はモーツァルトの未完で残された最後の作品です。《レクイエム》という曲名は、カトリック教会における死者のためのミサの冒頭の言葉である”Requiem aeternam”(安らぎを、永遠の)が通称となったものです。本来、カトリック教会の教義では、死者は最後の審判において天国に行くのを待っている存在であり、死者のためのミサは、死者が最後の審判に当たって、天国に行けることを神に願うための典礼です。
モーツァルトの《レクイエム》の成立については、かつて様々なロマンティックな伝説がまとわり付いていました。しかし1964年に公表されたアントン・ヘルツォーク(Herzog, Anton生没年不明)の1839年の記述により、成立事情は明らかになりました。モーツァルトは1791年夏にヴァルゼック=シュトゥパハ伯爵 (Walsegg, Franz von 1763-1827) から「2月14日に20歳で亡くなった妻の記念に、《レクイエム》を1曲作曲してほしい」という通知を受け取りました。ヴァルゼック伯爵は自分の城で私的な演奏会を開き、様々な作曲家の作品を取り上げていましたが、自分でパート譜を筆写して作曲者が誰であるかを当てさせるという趣味がありました。
その時期モーツァルトは《魔笛》(9月30日初演)とレオポルトⅡ世(LeopoldⅡ1747-1792)のプラハでの戴冠式の祝典のためのオペラ《皇帝ティートの慈悲》(9月6日初演)の作曲のため多忙であり《レクイエム》の作曲を開始したのは1791年9月以降と考えられています。12月5日に亡くなった時点で完成していたのは冒頭の〈イントロイトゥス〉の部分だけでした。以下、〈キリエ〉はほぼ完成。〈ディーエス・イレ〉から〈コンフターティス〉および〈ドミネ・イエズ〉と〈ホスティアス〉は声楽パート部分のすべてと通奏低音、および一部の重要なオーケストラ・パートが残されています。〈ラクリモーザ〉は2小節の前奏と、第8小節目までの声楽パートが残されています。ここがモーツァルトの絶筆の箇所です。〈サンクトゥス〉から〈アニュス・デイ〉には自筆の資料は残されていません。〈コムニオ〉は〈イントロイトゥス〉の歌詞を付け替えたものです。モーツァルトが完成できなかった部分は弟子のジュスマイヤーによって補筆されました。おそらくジュスマイヤーはモーツァルトの死の直前に、《レクイエム》を完成させるための指示を受けていただろうと推測されます。ジュスマイヤーによる補筆は今日まで様々な批判にさらされてきました。しかし未亡人コンスタンツェが作曲料を受け取るためだったとはいえ、完成した一曲のレクイエムが私たちに残されたことはなんと幸福なことでしょう。
本日は古楽器によるオーケストラと共にA=430Hzのピッチで演奏いたします。これは古典派の時代にウィーンで一般的に使われたピッチであり、現代の古楽器による古典派作品の演奏における標準のピッチです。ちなみに現代の標準ピッチA=440Hzは1939年にロンドンでの国際会議で決められたものです。